「東洋初の地下鉄」という触れ込みで東京地下鉄道の浅草駅〜上野駅が開業したのが、昭和2年12月30日のこと。あまり知られていませんが、東京の地下鉄のうち東京メトロ銀座線と丸ノ内線、都営地下鉄の浅草線と大江戸線だけは、新幹線と同じ標準軌となっています。標準軌となったのには地下鉄誕生の歴史が隠されています。
標準軌のモデルはロンドン地下鉄

明治維新後、日本最初の鉄道として明治5年9月12日(1872年10月14日)に開業した新橋〜横浜間は線路の幅が1067mmの狭軌(きょうき)で敷設され、それが現在日本各地を走るJRグループの在来線(ミニ新幹線を除く)、そして多くの私鉄に踏襲されています。
在来線と相互乗り入れする私鉄は、当然、すべて狭軌となっています。
資金も技術もない明治政府はイギリスに援助を仰ぎ、イギリス人技術者エドモンド・モレル(Edmund Morel)が建設費の軽減、工期の短縮などから狭軌を提案したのだというのが通説です。
鉄道開業から時を経て、後に「地下鉄の父」と称される早川徳次(はやかわのりつぐ)は、大正3年にヨーロッパを視察。
その時、ロンドンを走る地下鉄に感銘を受け、東京の新しい都市交通の切り札として、地下鉄建設を思い立ったのです。
早川は東京地下鉄道を設立し、多くの反対、そして関東大震災による資金難を乗り越えて大正14年9月27日に浅草駅〜上野駅間を着工したのです。
早川が感銘を受けたロンドンの地下鉄(Tube)の開通は、日本国内では薩英戦争が勃発、薩摩藩が錦江湾のイギリス艦隊と砲撃戦を展開した直前、文久2年11月21日(1863年1月10日)のこと。
現在のハマースミス&シティー線(Hammersmith & City Line)の大部分で、それが1435mm(標準軌)だったのです。
線路幅は広くても車幅は狭い!

線路幅は広いのですが、その分、車体を大きくするとトンメル断面も大きくなるので、標準軌なのに小さな車体で済ませてなるべく工費を浮かせようという工夫も見ることができます。
給電システムを通常のパンタグラフではなく、「第三軌条方式」(サードレール方式)を採用。
レール横に給電用の線路を敷いてそこから電気を取るシステムで、同じ標準軌の丸ノ内線も同じです。
当時、軌道として敷設された私鉄には、意外にこの標準軌が採用されていましたが、鉄道を管轄する鉄道省がなぜ標準軌を認めたのかは定かでありません。
貨物輸送など、国鉄との連絡の必要性がないなどの判断だったのかもしれません。
早川徳次は、大学卒業後、南満洲鉄道(満鉄)に就職。
大陸を走る満鉄は標準軌を採用していたので、早川や鉄道省内部の人は標準軌に慣れ親しんでいたとも推測できます。
標準軌だからといって、トンネルの小さな断面から、その利点はあまり活かされず、逆に狭軌の他の路線の車幅のほうが広いという残念な逆転現象も起こっています。
銀座線を走る1000系車両の全幅は、2m55cm。
対する東西線15000系の全幅は、2m80cm。
標準軌なのに車幅は25cmも短いという悲しい結果となっているのです。
| 東京メトロ・銀座線の「レール幅」は、なぜ新幹線と同じ標準軌!? | |
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