日本最初の地下鉄(本格的な地下鉄道)は、東京メトロ銀座線・浅草駅〜上野駅間で、大正14年9月27日着工、昭和2年12月30日に開業したもの。早川徳次(はやかわのりつぐ)が創立の東京地下鉄道が、当時、もっとも東京で賑やかだった浅草、上野、さらには銀座、新橋への路線として計画したものです。
給電は架線でなく線路脇のサードレールから

浅草から上野、さらに新橋にかけては、温暖な縄文海進時代には海、江戸時代にも江戸湾奥という砂混じりの沖積平野(ちゅうせきへいや)のため、穴を掘って鉄道を通すことなどは無理という意見もあったのです。
南満洲鉄道(満鉄)を辞職した早川徳次は鉄道院に入局後、東武鉄道の2代目社長で、同じ山梨県出身の根津嘉一郎に見出され、高野登山鉄道(現・南海高野線)の立て直しなどに辣腕を発揮します。
大正3年の欧米視察で、イギリス・ロンドンの地下鉄を目にして、東京のさらなる発展に地下鉄の必要性を痛感。
地質調査、さらには自らが街角に立っての交通量調査を行ない、十分な安全性と経済性が確保できると判断したのです。
大正8年11月17日、「東京軽便地下鉄道」として鉄道員から鉄道免許を取得。
大正9年8月29日、東京地下鉄道株式会社を創立。
大正12年9月1日に関東大震災が発生していますが、大正14年9月27日には工事に取り掛かっています。
昭和2年12月30日、浅草駅〜上野駅間が、開業。
開業に先駆けて上野駅近くに上野電車庫(現・上野検車区)を設置していますが、その土地は、震災後の帝都復興事業における区画整理を利用して取得しています。
この車両基地は、延伸時して郊外に大規模な基地を設置するまでの一時的なものという計画でしたが、現在でも利用されています。
トンネルを小さくして工事費を軽減するため、電気は架線ではなく線路脇に敷設された専用のレールから電気を取り入れる第三軌条方式(サードレール方式)を採用している点にも注目を。
銀座線(日本初の地下鉄)が計画された昭和初期、地下鉄は道路の地下空間を利用して建設される原則があったため急カーブが連続しているので、少し揺れる感じに。
そんな揺れも歴史ある裏付けになっているのです。

上野〜銀座〜新橋延伸は、沿線のデパートとコラボで


関東大震災の影響もあり、上野駅〜銀座駅〜新橋駅は、予算不足を伴ったため、当時の花形企業だったデパートとタイアップし、デパート近くに駅を築いてデパート直結の入口を設けるなどのタイアップ案で、デパート側から資金調達を図っています。
銀座線沿線に老舗デパートが多いのは偶然ではなく、繁華街の老舗デパートを結ぶように走っているからです。
また、昭和4年に浅草駅雷門ビル、浅草駅地下鉄食堂を開業、昭和5年4月1日、上野駅構内に地下鉄ストアを開業、昭和6年6月、 国鉄上野駅前に地下鉄ストアビルを建てるなど、アメリカに学んで駅ビル、「駅ナカ」の元祖的なシステムを生み出しています。
吾妻橋に近い交差点に建つ、浅草駅4番出入口上家は、東京地下鉄が地下鉄誕生時に建設したもの(昭和6年築)で、国の登録有形文化財。
現存する貴重な開業時の建築物です。
あまり知られていませんが東京メトロ上野駅構内にある「エチカフィット上野」は、昭和5年開業の地下鉄ストアがルーツの歴史ある店舗ということに。
また銀座線浅草駅構内の「浅草地下商店街」は、浅草の商店主たちが太平洋戦争からの復興を目的に昭和30年に誕生させた商店街。
日本最古の地下街とも称されています。
ちなみに銀座線の塗装は「レモンイエロー」ですが、実は開業時にベルリンの地下鉄に似せたもの。
当時の東京は路面電車や私鉄を含めて鉄道網が充実。
車体もわかりやすく「レモンイエロー」に塗装したというわけです。
塗装のたびに色が濃くなっていき、首都圏の鉄道のラインカラーを決める昭和45年には限りなくオレンジ色に見えるまでに変化、その結果、ラインカラーは「レモンイエロー」ではなく、オレンジ色になってしまったのだとか。
現在の山手線=黄緑6号などのラインカラーのルーツも、実は銀座線にあったのです。

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