【昭和レトロな旅】「空飛ぶ電車」を知っていますか!?

空飛ぶ電車・豊島園

『EXPO 2025 大阪・関西万博』で話題となったのは「空飛ぶクルマ」。さらにロシアの発明家ダヒル・セメノフは、600km/hで2000人もの乗客を輸送する「空飛ぶ電車」を提案しています。まだまだ夢物語の「空飛ぶ電車」、実は昭和26年、日本初となる空中ケーブルカー(懸垂型モノレール)の名前が「空飛ぶ電車」だったのです。

事業継承した西武鉄道が設置したのが「空飛ぶ電車」

空飛ぶ電車・豊島園

「空飛ぶ電車」が誕生したのは大正15年に開園した豊島園(後の「としまえん」/令和2年8月31日閉園)。
戦後間もない昭和21年3月、貴重なレジャー施設として営業を再開、昭和26年1月31日に西武鉄道が事業を継承して、最初に設置されたのがこの「空飛ぶ電車」です。

単なる遊具と考えたら大間違い。
国鉄の鉄道技術研究所・三木忠直(みきただなお)が直接、指導を行ない日立製作所が技術の粋を集めて製作した当時としては画期的な乗り物だったのです。

三木忠直は戦時中は爆撃機「銀河」、特攻機「桜花」特攻機などの機体設計を担い、戦後は新幹線開発に携わった工学者です。
本人のインタビューによれば、戦時中には、ドイツのV一号に呼応してロケット兵器の研究も行なっていました。
戦後は、自分が開発した特攻機で多くの若者の命が失われたことを悔やみ、戦没した兵士たちを慰霊するため国鉄鉄道車両技術者に転身しています。

豊島園の「空飛ぶ電車」は、そうした反省と、焼け跡となって荒廃した東京の子どもたちに夢と希望を与えようと、持てる技術を投入し、全力で開発した遊具だったのです。

「空飛ぶ電車」は、懸垂式モノレールのプロトタイプ

小田急3000形(初代のロマンスカー)
「空飛ぶ電車」と何となく似ている小田急3000形(初代のロマンスカー)

三木が働いた鉄道技術研究所は、当時、技術を磨きながら東京と大阪を高速で結ぶ弾丸列車(高速鉄道)と都市の新交通としての懸垂式モノレールの研究を進めていました。
懸垂型モノレールに関しても、三木は200km/h以上の高速移動を考えていたのです。
その高速移動手段としての懸垂式モノレールのプロトタイプ(試作機)が豊島園の「空飛ぶ電車」ということに。

当初は懸垂型のプロペラ推進方式を計画していましたが、推力が不足することがわかり、台車をモーターで回す方式に変更されています。
直径60mの円形線路を平均7.5km/hで走行するものでしたが、当時としては近未来型の流線型で飛行船にも似たスタイルで人気を博しました。

三木忠直は、後に航空機の技術を取り入れた小田急3000形(初代のロマンスカー/昭和32年始運転開始)、「世界初の高速鉄道車両」となった新幹線0系電車を開発していますが、ベースにあった技術は「空飛ぶ電車」で培われたもの。
初代のロマンスカーや新幹線のプロトタイプ(試作機)といってもオーバーではないのかもしれません。

残念ながら「空飛ぶ電車」は、昭和43年頃には運行を終了していますが、その経験と技術は三木が常務取締役・技師長も務めた湘南モノレール江の島線に活かされています。

湘南モノレール
「空飛ぶ電車」の技術と構想は湘南モノレールに結実
【昭和レトロな旅】「空飛ぶ電車」を知っていますか!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
空飛ぶ電車・豊島園