浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)

浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)

東京都台東区浅草1丁目、東京メトロ銀座線の浅草駅改札から新仲見世側の6番出口へと繋がる地下にあるのが、浅草地下商店街。昭和30年に開業した商店街で、現存する日本最古の商店街になっています。そのレトロな雰囲気からSNSなどで話題となり、近年は浅草を訪れる外国人観光客の利用も多くなっています。

50mほどの間に20店舗が営業

浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)

昭和2年、東京地下鉄道(後の帝都高速度交通営団、現・東京メトロ)の建設した地下鉄銀座線は、浅草駅〜上野駅間で「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーとともに営業を開始し、昭和6年に神田駅まで、さらに昭和9年には銀座駅、新橋駅まで延伸しています。

昭和6年に開業したのが、日本最古の地下街である神田須田町地下鉄ストアですが、平成23年1月末に営業終了。
さらに銀座駅と東銀座駅の間、埋め立てられた三十間堀川の三原橋下に昭和27年12月1日、三原橋地下街(みはらばしちかがい)が誕生し、映画館なども入りましたが、こちらも耐震性の問題から平成25年3月31日に閉鎖されたため、日本で3番目に誕生した浅草地下商店街が現存する日本最古の商店街ということに。
3つの商店街がいずれも銀座線沿線にあるのは、「東洋唯一の地下鉄道」だった歴史を物語っています。

「東洋唯一の地下鉄道」を開業した東京地下鉄道(東京メトロの前身)は、当時、デパートなど多角的経営を進めた阪急電鉄に社員を派遣してノウハウを学び、昭和4年10月、浅草駅直結の地下鉄雷門ビル(平成18年解体)に地下鉄食堂をオープン、浅草の新名物にまでなったその成功を背景に、昭和5年4月に地下鉄上野駅構内に「地下鉄ストア」を開店しています。
「どこよりも良い品をどこよりも安く売る」がモットーの現代でいえばコンビニのような店で、「駅ナカ」の元祖ともいえるショップでした(阪急百貨店の開業時のコピーが「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」で、それを真似ています)。

電鉄版チエーンストアのルーツともいえる「地下鉄ストア」を展開した東京地下鉄道は、戦時下に国策で帝都高速度交通営団となり、浅草地下商店街を生み出しています。
現在でも20店舗ほどが営業していますが、各店舗にトイレはなく、地下街共用のトイレを利用する仕組み。
設備の老朽化もため、床のヒビなどから地下水が染み出すなどの難題を抱えなからも営業を継続。
浅草地下商店街一の老舗は、居酒屋「福ちゃん」は、東京オリンピックが開催された昭和39年の開業で、年期の入った鉄板で焼く焼きそばが名物になっています。

名古屋駅前に建設された名駅地下街サンロード(サンロード/開業時は「ナゴヤ地下街」)も日本最古と称されることがありますが、昭和32年3月開業。
高度成長時代の始まりを告げる大型地下街として、日本最古となっています。

浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)
浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)
名称 浅草地下商店街(現存する日本最古の地下街)/あさくさちかしょうてんがい(げんぞんするにほんさいこのちかがい)
所在地 東京都台東区浅草1-1-12地下1階
電車・バスで 東京メトロ・東武鉄道浅草駅から徒歩すぐ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
銀座線浅草駅4番出入口上家

銀座線浅草駅4番出入口上家

東京都台東区雷門2丁目、東京メトロ・浅草駅の昭和6年築というレトロな出入口が、銀座線浅草駅4番出入口上家(ぎんざせんあさくさえきよんばんでいりぐちうわや)。浅草寺の玄関口を意識して、切妻屋根の寺院風の外観で、当時としては貴重で高価な鉄筋コン

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