清洲橋(きよすばし)は、関東大震災の復興事業で造られた全長186.2mの自碇式吊橋(じていしきつりばし)で、昭和3年に完成。永代橋(えいだいばし)とともに、隅田川を代表する美橋として知られ、河口に位置する永代橋が男性的で雄大なデザインであるのに対し、上流に位置する第2橋梁の清洲橋は、女性的な優美さで対比をなしています。
「震災復興の華」と呼ばれた優美な橋
東京市復興局が施工主体となり太田圓三を中心に鈴木精一の設計で昭和3年に完成した橋長186.2m,中央支間長91.4m,幅員25.9mの橋。
永代橋と同様にデザイン面で建築家の山口文象が設計に関与しています。
モデルはかつてドイツのケルンにあった大吊り橋・ヒンデンブルグ橋(Deutzer Hängebrücke=当時世界最美の橋と呼ばれていました)で、隅田川沿いから見るその光景は、ケルンの眺めとも称されたほど似ていました。
日没から21:00まではライトアップが施され、なんとも心が和む景観に。
当時の最先端技術による昭和初期を代表する吊橋として、平成19年に勝鬨橋(かちどきばし)、永代橋とともに国の重要文化財に指定。
また、永代橋とともに土木学会の「土木学会選奨土木遺産」にも認定されています。
建設当時は中洲の渡し(なかずのわたし)があった深川区清住町と日本橋区中洲町を結んだことから、公募で清洲橋という名が付きました。
橋の上を清洲橋通り(東京都道474号浜町北砂町線)が通っています。
ヒンデンブルグ橋
1915年にドイツのケルン市に建設されたのがヒンデンブルグ橋(Deutzer Hängebrücke)。
1934年8月2日に死去した、ドイツ(ワイマール共和国)の第2代大統領、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg)の名を冠して1935年にヒンデンブルグ橋と名付けられました。
1945年2月28日に修理工事中に倒壊。
1934年8月2日に死去した、ドイツ(ワイマール共和国)の第2代大統領、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg)の名を冠して1935年にヒンデンブルグ橋と名付けられました。
1945年2月28日に修理工事中に倒壊。
清洲橋 | |
名称 | 清洲橋/きよすばし Kiyosu Bridge |
所在地 | 東京都江東区清澄1〜中央区日本橋中洲1 |
電車・バスで | 東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線清澄白河駅徒歩7分。または、東京メトロ半蔵門線徒歩水天宮駅から徒歩9分 |
ドライブで | 首都高速高浜町ランプから約700m |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
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