龍福寺

龍福寺

東京都板橋区小豆沢4丁目、室町時代末に創建と伝わる真言宗の古刹が、龍福寺。本尊の薬師如来は、七々子崎(ななこざき)と呼ばれた荒川の入江で平安時代末に発見されたと伝わるもの。境内には「板碑の寺」(いたびのてら)と称されるほど板碑が多く(7基が現存)、なかには鎌倉時代、建長7年(1255年)の銘のあるものも。

小豆沢の歴史を今に伝える古刹

龍福寺

正式名は薬王山東光院龍福寺で、袋村(現・北区岩淵町)の真頂院(北区赤羽3丁目に現存/埼玉県川口市の錫杖寺の末寺)の僧・運珍が隠居寺として創建したと伝えられる古刹。
豊島八十八ヶ所霊場86番札所にもなっています。

龍福寺に伝わる『薬師縁起』には、天長年間(824年〜834年)に荒川の入江で本尊の薬師如来像が見つかったこと、小豆沢(あずさわ)という地名が、平将門(たいらのまさかど)への貢物を積んだ舟がここで沈み、その際積荷の小豆が流出したことに由来することなどが記されています。
七々子崎というのは特定の岬の名前ではなく、小豆沢村一帯にあった入り組んだ荒川の7つの岬の総称だと推測できます。
また、アズとは崩れた崖を指す古語なので、武蔵野台地に海(古東京湾)やその名残りの蛇行する荒川が迫っていた往時の様子がよくわかります。

関東に分布する秩父地域で産出される緑泥片岩(りょくでいへいがん)を石材とした板碑(武蔵型板碑)は、中世に造立された板状の供養塔で、死者の冥福を祈る追善供養や生前に死後の菩薩のための仏事を行なう逆修供養(ぎゃくしゅうくよう)を目的に建てられたもの。
建長7年(1255年)の銘がある板碑は、高さ160cmという巨大なもので、梵字(ぼんじ)のキリーク(阿弥陀如来)を主尊に、サ(聖観音菩薩)とサク(勢至菩薩)を配した、阿弥陀三尊が刻まれています(阿弥陀三尊板碑は鎌倉時代の初期に、現在の埼玉県、東京都などに数多く建立されています)。

龍福寺
名称 龍福寺/りゅうふくじ
所在地 東京都板橋区小豆沢4-16-3
関連HP 板橋区公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄志村坂上駅から徒歩10分
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龍福寺

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