天王寺・牧野富太郎の墓

天王寺・牧野富太郎の墓

東京都台東区谷中にある天台宗の寺、天王寺(てんのうじ)。江戸時代には「江戸の三富」と呼ばれた富くじを発行する寺として隆盛した名刹ですが、天王寺墓地には、有名人の墓も多数。そのひとつが「日本の植物学の父」といわれれる牧野富太郎の墓です。

「日本の植物学の父」牧野富太郎は、天王寺墓地に眠る

文久2年4月24日(1862年5月22日)、土佐国佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生誕した牧野富太郎(4月24日は、「植物学の日」になっています)。

牧野富太郎は、本格的な植物学を志し、明治17年、東京に。
大正元年、50歳の時から昭和14年(77歳)まで東京帝国大学理科大学講師を務めています。
大正15年から没するまでは大泉に居を構え、自邸の庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしていました(現・東京都練馬区東大泉「牧野記念庭園」)。

戦後の昭和28年、91歳で東京都名誉都民に。
昭和32年1月18日、94歳で死去し、天王寺墓地に葬られ、墓の横には、牧野富太郎が愛し(「自然と菓子屋が目につき、この美しい娘を見染めてしまった」ことから明治23年に結婚)、新種の笹に「スエコザサ」(学名:ササエラ・スエコアナ・マキノ)と名付けた寿衛子夫人の墓もあります。

墓の正面には「結網学人 牧野富太郎 TOMITARO MAKINO Dr.Sc. APRIL 26.1862−JAN 18.1957 墓」、側面に「昭和三十二年一月十八日歿 浄華院殿富嶽穎秀大居士 行年九十六歳」、裏面には年譜が刻まれています。
墓碑の「家守りし妻の恵みやわが学び」、「世の中のあらん限りやスエコ笹」は、亡き夫人への限りない感謝と愛情を込めて刻んだ自作の句。

平成21年の映画『黄金花』で牧野富太郎博士をモデルにした牧老人は、原田芳雄が好演。
令和5年放送のNHK連続テレビ小説『らんまん』(主演・神木隆之介)の主人公・槙野万太郎(まきのまんたろう)のモデルが、牧野富太郎です。

天王寺・牧野富太郎の墓
名称 天王寺・牧野富太郎の墓/てんのうじ・まきのとみたろうのはか
所在地 東京都台東区谷中7-14-8
電車・バスで JR・京成電鉄日暮里駅から徒歩3分
駐車場 3台/無料
問い合わせ 天王寺 TEL:03-3821-4474
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
天王寺

天王寺

東京都台東区、谷中墓地の一画、JR日暮里駅近くにある天台宗の寺が天王寺。鎌倉時代後期、土豪関長耀が当地に立ち寄った日蓮聖人に帰依して草庵を結んだのが始まりで、江戸時代に輪王寺宮公弁法親王を願主に、5代将軍徳川綱吉を大檀那にして天台宗に改宗。

天王寺・元禄大仏

天王寺・元禄大仏

東京都台東区谷中にある天台宗の寺、天王寺(てんのうじ)。谷中霊園の一画に建つのは、谷中霊園は神仏分離、廃仏毀釈以前は、境内地だったから。そんな天王寺の境内に鎮座する露座の大仏が元禄大仏と呼ばれる釈迦牟尼如来坐像。元禄3年(1690年)建立と

牧野記念庭園

牧野記念庭園

東京都練馬区東大泉6丁目、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎(まきのとみたろう)博士の旧宅跡の庭園を開放した練馬区立の公園が、牧野記念庭園。牧野博士が大正15年から昭和32年に没するまで暮らした邸宅に併設の、博士が「我が植物園」と愛し

牧野記念庭園・牧野富太郎像

牧野記念庭園・牧野富太郎像

東京都練馬区東大泉6丁目、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎(まきのとみたろう)博士が大正15年から昭和32年に没するまで暮らした邸宅の「我が植物園」と愛した庭を公園にしたのが、牧野記念庭園。庭の一角にはスエコザサに囲まれた牧野富太郎

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