北区
プレスマンユニオン編集部
平塚神社(平塚城)
東京都北区上中里、JR上中里駅のすぐ南側の高台にある古社が、平塚神社。元禄5年(1692年)編纂の『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』によれば、この地に豊嶋郡の郡衙(ぐんが=郡役所)、平安時代に豊島近義が平塚の要害を利用して平塚城を築城した地と伝わっています。
河岸段丘上に建つ古社は、源氏三兄弟ゆかりの地
寛治元年(1087年)、後三年の役の帰路、源義家(八幡太郎)、源義綱(賀茂次郎)、源義光(新羅三郎)の三兄弟が平塚城を訪れたことから、源氏三兄弟の徳を慕い、平塚三所大明神として祀ったのが始まりと伝えています。
拝殿の裏手には源義家の鎧が埋められているという甲冑塚があります(御神体のため非公開)。
中世に石神井川流域を拠点とした豊島氏(豊嶋氏)の本城は、石神井城(現・石神井公園の三宝寺池の畔)ですが、石神井川沿いに支城の練馬城(旧としまえん、現・令和5年開業の「スタジオツアー東京 メイキング・オブ ハリー・ポッター」)、板橋城(現・板橋区東山町、上板橋小学校周辺)、滝野川城(現・北区滝野川3丁目、金剛寺周辺)、平塚城(現・平塚神社周辺)を築いています。
『江戸名所図会』にも「平塚の要害」と記されていますが、北側は武蔵野台地の端に位置する新河岸川(荒川の西岸沿いを流れて、隅田川に合流)への崖。
北西の石神井川が流れる音無渓谷の上には滝野川城が守備していました。
石神井城は、文明9年(1477年)、豊島勘解由左衛門尉(としまかげゆさえもんのじょう=豊島泰経・としまやすつね)が城主の時に太田道灌(おおたどうかん)によって落城し、廃城となっていますが、この時、平塚城も落城して廃城に。
中世城郭としての遺構は残されていません。
江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)、盲目の山川貞久(やまかわじょうきゅう/山川城官貞久)は平塚明神で出世祈願をし、江戸に出て徳川幕府に仕え、3代将軍・徳川家光に侍する検校(けんぎょう=目の不自由な人が租属する当道座の最高位)まで出世し、将軍が病の時には平塚明神に病気回復を祈願し、見事に回復。
山川貞久は、私財を投じて平塚明神の社殿を再建し、さらに別当寺(神社を管理する寺)として安楽寺を創建したのです。
それを知った徳川家光は、寛永17年(1640年)、平塚明神に社領50石、山川貞久に知行200石を与え、安楽寺の寺号を改めて平塚山城官寺安楽院としています(平塚神社南東にある城官寺です)。
元禄5年(1692年)編纂の『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』は、正式名を『武州豊島郡平塚郷上中里村平塚大明神の社并別当城官寺縁起絵巻』といい、平塚明神別当・城官寺の中興住職・真惠が中心となり編纂したもので、北区の文化財に指定されています。
神社の西には区立滝野川公園、南側に旧古河庭園があります。
JR上中里駅から旧古河庭園を目指す場合には、平塚神社にも寄り道を。
『江戸名所図会』に描かれた中世の平塚城、平塚明神社
『江戸名所図会』平塚明神社(平塚明神社は神仏習合時代の呼称)
『江戸名所図会』八幡太郎義家兄弟奥州凱旋の際、平塚城滞在の絵
太田道灌と豊島氏の合戦を描いた『江戸名所図会』平塚城戦
平塚神社(平塚城) |
名称 |
平塚神社(平塚城)/ひらつかじんじゃ(ひらつかじょう) |
所在地 |
東京都北区上中里1-47-1 |
関連HP |
平塚神社公式ホームページ |
|
電車・バスで |
JR上中里駅から徒歩3分、東京メトロ南北線西ヶ原駅から徒歩5分 |
問い合わせ |
平塚神社社務所 TEL:03-3910-2860 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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