普通鉄道として日本初の電車運転は、飯田町駅〜中野駅!

日本国内の普通鉄道で、初めて電車が運転されたのは、甲武鉄道の飯田町駅〜中野駅です(路面電車は京都)。現在の中央本線ですが、明治37年8月に電化が完成し、普通鉄道における日本初の電車が登場したのです。明治39年10月1日に国有化され、さらに電化の区間は伸びたのです。

甲州財閥・雨宮敬次郎の尽力で甲武鉄道誕生

現在の京急、江ノ電などの経営にも参加した甲州財閥・雨宮敬次郎

現在の中央本線・御茶ノ水駅〜八王子駅間の前身が、甲武鉄道。
まさに武蔵と甲州を結ぶ鉄道として開設されました。
明治3年、玉川上水の通船(舟運)が始まりましたが、船頭が立小便をして水道水が汚染するという問題もあって明治5年5月に廃止。
代わって明治16年、新宿〜 羽村に玉川上水築堤を利用しての甲武馬車鉄道を敷設を計画、東京府に提出しますが不許可。

経路を変更して甲武馬車鉄道は、明治19年11月、内藤新宿〜 八王子間の敷設免許を取得したのが始まりです。
中野から先、一直線に線路が伸びているのは、街道沿いは反対運動で断念し、人家のない田畑を選んで敷設したためです。

当初は大隈重信などの援助もありましたが、大隈が甲信鉄道(御殿場〜甲府〜松本)への投資に転じたため、甲州財閥の雨宮敬次郎(あめのみやけいじろう)が製粉事業での成功資金を元手に、甲武鉄道に投資(路面電車の東京市街鉄道などにも投資し、「明治の鉄道王」とも称されています)。
雨宮など、甲州財閥にとって、山に囲まれた甲州で産する生糸、ぶどう、ワインなどを東京、横浜にいち早く運ぶことは、当時最大の課題だったのです。

明治20年、甲武馬車鉄道と武甲鉄道(新宿〜青梅、砂川〜八王子を計画)が合併し、甲武鉄道が誕生しています。

雨宮敬次郎は、明治21年、甲武鉄道への投資で大きな利益を出し、明治22年、八王子〜甲府間を結ぶ「山梨鉄道案」を構想、明治22年2月に国に敷設許可を申請(国は不許可に)、後の中央本線へとつながりました(ただし、雨宮案は小仏峠を南に迂回するプランでした)。

明治37年8月21日、江戸城の外濠に、日本初の電車が走る!

電車化した当時の甲武鉄道・御茶ノ水駅

明治21年3月31日、内藤新宿〜八王子の鉄道免許を取得し、明治22年4月11日、新宿駅〜立川駅が蒸気機関車牽引で開業(当時の名称は新宿駅ではなく新宿停車場でした)。
明治22年8月11日には立川駅〜八王子駅が延伸開業しています。
工事は、日本鉄道(現在の東北本線などを敷設)の支線とみなして、鉄道局が担当しているので、半官半民的な色彩も。
しかも実際の運行は日本鉄道が行なっているので、今流行の上下分離方式の元祖ともいえるのです。

並行して明治22年7月13日、新宿停車場〜神田区三崎町の仮免許を取得し、明治26年3月1日、新宿〜四谷〜飯田町に鉄道敷設免許状が出ています。

当時、現在の国立競技場周辺に青山練兵場があり、その兵員や物資輸送にも役立つということで、軍部の助力もあったのです。
こうして江戸城の外濠を利用しての異色の鉄道が新宿〜飯田町に敷設され、しかも明治28年12月30日には複線化されています。

明治37年8月21日、飯田町駅〜中野駅に電車が走行(直流600V)、これが日本初の普通鉄道での電車運行となったのです(12月31日に御茶ノ水駅まで延伸)。
明治37年といえば、日露戦争開戦の年。
二〇三高地で有名な旅順攻囲戦のさなかに電車化しています。

普通鉄道として日本初の電車運転は、飯田町駅〜中野駅!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
飯田町駅跡

中央本線の起点は東京駅でなかった!?

東京駅と名古屋駅を結び、中部山岳地帯を走り抜ける中央本線。今は東京駅が起点となっていて0kmポストもありますが、明治28年に現在の中央本線の前身となる甲武鉄道開業時の起点駅は飯田町駅(いいだまちえき/東京都千代田区)で、昭和8年に長距離列車

飯田町駅

【東京の廃駅】飯田町駅(明治28年〜平成11年)

あまり知られていませんが、東京23区内にも数多くの廃駅があります。なかでも都心のターミナル駅として誕生、その後廃駅となったのが、現在の千代田区飯田橋3丁目にあった飯田町駅(いいだまちえき)です。明治28年4月3日、甲武鉄道の起点駅として開業