東京都新島村、式根島の南岸、式根島港、松が下雅湯、足付温泉近く、式根松島と呼ばれる景勝地を一望にする地に立つのが与謝野晶子記念碑。昭和13年、歌人・与謝野晶子が式根島を訪れた際に詠んだ「波かよう 門をもちたる岩ありぬ 式根無人の 嶋なりしかば」の歌碑です。
昭和13年10月7日、与謝野晶子、式根島に
昭和61年10月、東京都が式根島開島100年記念事業の一環として建立された歌碑です。
式根島港、松が下雅湯、足付温泉の入口、まいまいず井戸の向かいに式根島開島記念碑が立っていますが、式根島は明治21年、新島から4世帯8名が移住して開島。
与謝野晶子はそのことを歌に入れ、歌碑の目の前に見える江口根の岩を「門をもちたる岩ありぬ」と詠んでいます。
式根島では、昭和9年、東京湾汽船(東海汽船の前身)が「新島温泉ホテル」を開業。
2年後の昭和11年には「式根島温泉ホテル」を足付海岸の丘の上、ちょうど与謝野晶子記念碑の立つあたりに開業しています。
自前の井戸と発電所を建設、式根島にとって電気と水道設備の先駆けとなった施設でした。
白亜の2階建ての温泉ホテルで、岩のトンネルをくぐり抜けた温泉浴場の湯船から式根松島の風光明媚な海を眺めました。
この式根島温泉ホテル開業にあわせ、東京湾汽船は当時の汽船「橘丸」(昭和10年就航の2代目、1772t、「東京湾の女王」と呼ばれた流線型客船、昭和13年に日本海軍に徴傭され、病院船に改造)、「菊丸」(昭和4年就航、780t)を寄港させ(接岸できないため、交通船=艀で旅客を輸送)、与謝野晶子も温泉を目的に昭和13年10月7日に来島し(夫・与謝野鉄幹は昭和10年3月26日に没しています)、式根島に2泊したのです(その後、大島・波浮港の港屋旅館に宿泊)。
「式根島温泉ホテル」は戦時下に軍人の施設となり、戦争中に空襲で一部を焼失し、戦後、取り壊されています。
岩のトンネルをくぐり抜けた温泉浴場というのは、現在の松が下雅湯あたりで、岩のトンネルは現存しています。
式根島・与謝野晶子記念碑 | |
名称 | 式根島・与謝野晶子記念碑/しきねじま・よさのあきこきねんひ |
所在地 | 東京都新島村式根島 |
関連HP | 式根島観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 式根島港から徒歩5分 |
ドライブで | 式根島港から約300m |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 式根島観光協会 TEL:04992-7-0170/FAX:04992-7-0448 |
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