東京都八王子市にある中世の山城で、「日本100名城」にも選定されるのが八王子城。小田原城の支城として北条氏照(ほうじょううじてる)が築いた城で、山麓の城山川沿いに居館のある御主殿曲輪(こしゅでんくるわ)を配し、山頂部に本丸を築いています。
八王子城の中心で北条氏照の居館、庭園があった曲輪
北条氏照は、武田信玄の相模侵攻で、平山城である滝山城の防衛面での弱点を知り、武蔵と相模の境に大規模な山城を築くことを決意、1571(元亀2)年頃から築城を開始し、1587(天正15)年頃に八王子城に本拠を移しています。
すでに中世的山城の役割が終焉し、機能性に優れた平城が好まれる時代に、あえて山城を本拠としたのは、八王子がそれだけ要衝だったことに。
武相国境の尾根にも出城や狼煙台を築き、甲斐の武田を睨んでいます。
そんな防衛重視の八王子城ですが、北条氏照が居館としたのは、御主殿曲輪。
普段の生活は山麓で、いざというときは山中の城で防戦しようという構造で、城山川に沿った地区には城下町(根小屋地区)も形成されていました。
築城から間もない天正18年6月23日(1590年7月24日)、豊臣秀吉の小田原攻めで、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの精鋭1万5千人に攻められて落城。
城主の北条氏照は、豊臣秀吉との徹底抗戦を主張し、小田原城に籠もっていましたが、切腹させられています。
北条氏照の居館があった御主殿跡は、八王子城の中心で、平成4年度、平成5年度に行なわれた発掘調査では、建物の礎石、石敷きの通路、庭園跡などが発掘されています。
その後、遺物は保存のために埋め戻されていますが、その真上に間取りを再現した会所など、忠実に遺構を表現した礎石などのレプリカが置かれています。
御主殿へ通じる虎口(こぐち)の石垣と冠木門、御主殿曲輪へ渡るために城山川に架けられた曳橋(ひきはし)などが復元され、往時を偲ぶことができます。
御主殿曲輪横を流れる城山川に懸かる御主殿の滝は、落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、川の水が三日三晩血に染まったと伝わる滝です。
八王子城・御主殿曲輪 | |
名称 | 八王子城・御主殿曲輪/はちおうじじょう・ごしゅでんくるわ |
所在地 | 東京都八王子市元八王子町3丁目 |
関連HP | 八王子市公式ホームページ |
電車・バスで | JR高尾駅から西東京バスで、霊園前・八王子城跡入口下車、徒歩15分(土・日曜、祝日のみ、八王子城跡行が運行) |
ドライブで | 圏央道八王子西ICから約4km |
駐車場 | 八王子城駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 八王子市文化財課 TEL:042-620-7265 |
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