【知られざる東京】江戸三大閻魔

江戸時代には旧暦1月15日が小正月、7月15日がお盆ということもあって、1月16日、7月16日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔大王を祀る寺では、縁日として賑わいました。藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人々も、閻魔詣でに繰り出したのです。江戸の太宗寺、善養寺、華徳院は「江戸三大閻魔」といわれました。

太宗寺(浄土宗)

東京都新宿区新宿2-9-2
閻魔堂内に安置されている閻魔像は木造で、高さ5.5mという巨大なもの。1814(文化11)年に安置され、「内藤新宿のおえんま様」と信仰されました。江戸時代の1月16日、7月16日には露店が並ぶほどの盛況だったとか。
1847(弘化4)年には泥酔者が閻魔像の目を盗む事件が起こり、錦絵になるほど有名に。
リアルな閻魔像には、三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼、奪衣婆(だつえば)も傍らに配されています。

関東大震災や度重なる火災で損傷し、頭部以外は後の再建。高遠藩主・内藤家の菩提寺で、江戸六地蔵のひとつで内藤新宿に置かれた地蔵もあります。

左手に奪衣婆が控えています


 

 

善養寺(天台宗)

東京都豊島区西巣鴨4-8-25
正式名は薬王山延寿院善養寺。江戸時代には下谷・坂本(現・台東区上野公園)にありましたが、鉄道用地になったため、明治45年に現在地に移転。木造閻魔像坐像は豊島区の有形文化財。
 

 

華徳院(天台宗)

東京都杉並区松の木3-32-11
閻魔大王を本尊とする寺。下野国(しもつけのくに)佐野(現・栃木県佐野市)に円仁(慈覚大師)により理正院として創建と伝えれられる古刹で、後に、武蔵国霞が関(現・千代田区霞ヶ関)、慶長年間に浅草蔵前天王町(現・台東区浅草橋)に移りました。
1620(元和6)年、鳥越神社にあった鳥越山を切り崩し、隅田川を埋め立てて造られた幕府の米蔵が浅草御蔵。を隅田川、他の南北西の三方を堀で囲み、67棟の蔵が建っており、その前の地域が「蔵前」。華徳院が建っていたのは、その蔵の真ん前です。

往時の本堂には、運慶作と伝わる本尊の丈六閻魔坐像が祀られ、1月16日と7月16日の藪入では多くの参詣者を集めました。関東大震災で、すべてを焼失し、昭和3年に寺地を杉並に移し、さらに本尊を牛込の千手院行元寺より迎えています。


 

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酒井正人(プレスマンユニオン理事)

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。