雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)

雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)

東京都豊島区雑司が谷1丁目にある洋館が、雑司が谷旧宣教師館。明治40年、アメリカ人宣教師・マッケーレブが居宅として建てたもので、旧マッケーレブ邸として東京都の有形文化財に指定されています。東京都内に残される貴重な明治時代の宣教師館です。

明治40年築の宣教師の邸宅が雑司ヶ谷に現存!

雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)

下見板張り、ペンキ塗りの木造2階建ての住宅で、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を模したもので、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式(「大工さんのゴシック様式」)。
豊島区内に現存する最古の木造洋館です。
日本人棟梁がマッケーレブと相談しながら施工したこの建物で、竹を用いた格天井などの和風の要素も取り入れられています。

テネシー州出身、父を南北戦争で失ったジョン・ムーディー・マッケーレブ(ohn Moody McCaleb)は、ケンタッキー州レキシントンにあるカレッジ・オブ・ザ・バイブルを卒業し、新婚の妻、デラとともに明治25年に来日。
キリスト教精神に基づく青年教育を実現するため、築地居留地内の自宅を売却し、目白台に2500坪という広大な土地を購入。
購入した土地が日本女子専門学校(現・日本女子大学)の女子寮の隣接地だったため、男性の寮を建築することに反対もあって、代替地として雑司が谷の土地を入手、明治40年、全寮制の雑司ヶ谷学院を開校、同時に敷地内に居宅として現存する雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)が建設されたのです。

関東大震災後に雑司ヶ谷学院は経営難から廃校となり、昭和3年、雑司ヶ谷学院の建物を売却して幼稚園を開校、その際に費用の捻出で土地の一部を切り売りしたため、雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)は現在地に曳家され移設しています。
マッケーレブは第2次世界大戦時に母国に帰国し、戦後、高齢のため戻ることはなく、昭和28年、92歳で他界しています。

幼稚園で実際にマッケーレブの教えを受けたという人たちが近隣に居住し、そうした地域住民が中心となって保存運動を展開。
昭和57年に豊島区が建物取得、補修整備し、平成元年に一般公開したもの。

雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)
名称 雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)/ぞうしがやきゅうせんきょうしかん(きゅうまっけーれぶてい)
所在地 東京都豊島区雑司が谷1-25-5
関連HP 豊島区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ東池袋駅、雑司が谷駅、護国寺駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸) TEL:03-3985-4081
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
雑司が谷旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)

関連記事

よく読まれている記事