法受寺(桂昌院の墓)

法受寺(桂昌院の墓)

東京都足立区東伊興4丁目にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺が、法受寺。正式名は普賢山新幡随院法受寺で、境内には3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・徳川綱吉の生母となった桂昌院の墓があります。もともとは安養寺にあったものですが、関東大震災後、昭和10年に移転合併しています。

墓地には桂昌院の墓も

法受寺(桂昌院の墓)
桂昌院の墓

正暦3年(992年)に恵心僧都(えしんそうず=源信)によって、武蔵国豊島郡下尾久(現・荒川区)で天台宗の寺(霊仏山恵心院法住寺)として創建されたのが始まり。
鎌倉時代の文永元年(1264年)、浄土宗普賢山恵心院法住寺と改称し、江戸時代の宝暦3年(1753年)、に下尾久から豊島郡谷中に移し、普賢山新幡随院法住寺と改めています。

照光山安養寺(現在府中に移転した誓願寺の別院)は、元禄元年(1688年)に浅草に創建された寺で、桂昌院の実家・本庄氏の菩提寺。
関東大震災で、安養寺、そして法受寺とも荒廃し、合併して現寺地で法受寺となったもの。
境内の本庄家の墓域には、桂昌院の弟で、笠間藩主・本庄宗資(ほんじょうむねすけ)の墓もあります。
ちなみに将軍の5代将軍・徳川綱吉の生母となった桂昌院となった公式の墓は、増上寺にあります。

伊興4寺院で形成する「伊興七福神めぐり」(源正寺=恵比寿天、実相院=大黒天・弁財天・毘沙門天、 福寿院=寿老人・福禄寿) · 法受寺=布袋尊)の布袋尊を祀っています。
一帯には東陽寺、正安寺、浄光寺、善久寺、長安寺、常福寺、本行寺などがありますが、関東大震災後に移転して伊興寺町を形成したものです。

法受寺の第1駐車場は尾竹橋通り沿い、栄寿院の北側にあります。

法受寺(桂昌院の墓)
名称 法受寺(桂昌院の墓)/ほうじゅじ(けいしょういんのはか)
所在地 東京都足立区東伊興4-14-8
関連HP 足立区観光交流協会公式ホームページ
電車・バスで 東武スカイツリーライン竹ノ塚駅から徒歩15分
駐車場 10台/無料
問い合わせ 法受寺 TEL:03-3899-1508
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伊興寺町

伊興寺町

東京都足立区東伊興4丁目一帯に、関東大震災後に寺院が移転して誕生した寺町が伊興寺町(いこうてらまち)。その寺町を歩く伊興寺町散策路が整備され、古都の寺町のような雰囲気を醸し出しています。桂昌院の墓がある法受寺のほか、東陽寺、正安寺、浄光寺、

法受寺(桂昌院の墓)

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