江戸東京たてもの園・高橋是清邸

江戸東京たてもの園・高橋是清邸

東京都小金井市、都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園・センターゾーンに移築されているのが、高橋是清邸(たかはしこれきよてい)。明治34年、高橋是清が赤坂に新築した自邸で、大蔵大臣時代に二・二六事件で暗殺されたのも、この自邸で。軍部クーデターの証人となった邸宅です。

二・二六事件の凶弾に倒れたのは2階の寝室

江戸東京たてもの園・高橋是清邸

高橋是清の邸宅は2000坪という広大な敷地に建てられた自邸を、化粧材として良質の栂(つが)を使った総栂普請(そうつがぶしん)で、仏間を除くすべての部屋に床の間を配し、床洋間の床は寄木張り。
紙の障子ではなく、当時は高価だったガラス障子で、熟練の職人による手吹き円筒法でつくられたガラスは、波打っていて、歴史を感じさせます。
格天井(ごうてんじょう)の仏間には上部が花のような形をした花灯窓(かとうまど)があり、禅寺のような雰囲気に。

高橋是清は、明治38年、貴族院議員に勅撰されていますが、この自邸はそれ以前の建築ということに。
戦前に多磨霊園に移築されていたため東京大空襲などの戦災を免れ、平成5年に江戸東京たてもの園に移築。

2階は是清の書斎や寝室として使われ、寝室(十畳間)が二・二六事件の現場で、寝間着姿のまま凶弾に倒れ、軍靴の足音が高鳴る時代を迎えたのです。
昭和11年2月26日早朝、どすんどすんとものすごい音がしたため、女中の阿部千代子がただならぬ気配を感じて2階に上がりますが、反乱兵20名は玄関の戸を壊し、中島莞爾少尉、中橋基明中尉がようやく探し当てた階段を駆け上り、中橋基明が3発の弾を撃った後、さらに中島少尉が軍刀で切るという残忍な暗殺を行なっています。
寝室は泥だらけの兵隊靴で踏み荒らされていたとのこと。

高橋是清はそのとき、満81歳。
ふたりは殺害時に、「天誅」と叫んだとされていますが、昭和11年度予算で陸海軍の大幅な増額要求を大蔵大臣・高橋是清が抑え込んだことを恨んでの凶行というのが通説です。

周囲には雪見型灯籠など、赤坂にあった時代の高橋是清邸庭園の一部を復元。

江戸東京たてもの園・高橋是清邸

二・二六事件で暗殺された高橋是清とは!?

高橋是清

高橋是清は、明治38年、貴族院議員に勅撰され、日銀副総裁を務めながら横浜正金銀行頭取を兼任後、日本銀行の総裁に就任。
大正2年には第一次山本権兵衛内閣の大蔵大臣に就任、この時立憲政友会に入党、大正7年9月の原敬内閣で大蔵大臣に就任。
大正10年11月、原敬総理暗殺事件で、後継の内閣総理大臣に就任し、大蔵大臣を兼任。
立憲政友会は大正デモクラシーの波に乗り、発展していますが、普通選挙法には時期尚早という姿勢でした。
大正13年に隠居していますが、昭和2年、金融恐慌の勃発で、田中義一内閣の大蔵大臣に就任、昭和6年、犬養内閣の大蔵大臣に就任し、犬養総理暗殺事件(五・一五事件)で、再び内閣総理大臣を10日間臨時兼任、斎藤内閣の大蔵大臣に留任。
昭和9年、岡田内閣で大蔵大臣となり、昭和11年2月26日、二・二六事件で赤坂の自邸で暗殺(満81歳)。

江戸東京たてもの園・高橋是清邸
名称 江戸東京たてもの園・高橋是清邸/えどとうきょうたてものえん・たかはしこれきよてい
所在地 東京都小金井市桜町3-7-1 都立小金井公園内
関連HP 江戸東京たてもの園公式ホームページ
電車・バスで JR武蔵小金井駅から西武バス、小金井公園西口下車。または、関東バス三鷹駅行きで江戸東京たてもの園前、小金井公園前、スポーツセンター入口、下車
ドライブで 中央自動車道調布ICから約8km
駐車場 小金井公園第1駐車場(454台/有料)・第2駐車場(114台/有料)
問い合わせ 江戸東京たてもの園 TEL:042-388-3300
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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