矢部規矩治像

矢部規矩治像

東京都北区滝野川2丁目、赤煉瓦酒造工場とも称されるのが、旧醸造試験所第一工場。その横、第一工場庭園に昭和11年11月20日に建立されたのが、矢部規矩治像(やべきくじぞう)。矢部規矩治は、明治28年、世界で初めて清酒酵母を分離した農学者で、醸造試験所設立、醸造技術の発展に尽力しました。

醸造試験所を設立に尽力した矢部規矩治の像

矢部規矩治像

像の原型は、島根県出身で高村光雲(たかむらこううん)、吉田芳明(よしだほうめい)に師事した大野明山(おおのめいざん)。

矢部規矩治は、日本で初めて納豆(納豆菌)を微生物学的に研究、明治27年、納豆から桿状菌1種と小球菌3種を分離したことを『東京化学会誌』に発表しています。
明治28年、日本酒の醪(もろみ)から清酒酵母を分離することに成功。
明治29年、大蔵省に入省し、酒類・たばこの鑑定にあたり、明治34年、ヨーロッパの醸造技術などを調査し、帰国後、その成果を活かす形で、明治37年、東京・王子に醸造試験所を設立。
明治39年には醸造協会が設立され、全国品評会(全国新酒鑑評会)や酒造講習会が開催されるようになり、日本酒醸造の近代化が図られました。
同時に関税制度(酒造税)の確立にも多大な功績を残し、門下より数多くの学者技術者を輩出。

矢部規矩治像は、黒野勘六(醸造試験所技師で、電化式合成清酒を開発)ら矢部の門下生らによって、寿像(生前に建立される像)として発起されたものですが、昭和11年10月2日、矢部が駒込の自宅で心臓発作のため死去(満67歳)したため、除幕式は死後の11月20日に行なわれています。

矢部規矩治像
名称 矢部規矩治像/やべきくじぞう
所在地 東京都北区滝野川2-6-30
電車・バスで JR・東京メトロ王子駅から徒歩10分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)

赤煉瓦酒造工場(旧醸造試験所第一工場)

東京都北区滝野川2丁目、赤煉瓦酒造工場とも称されるのが、旧醸造試験所第一工場。日本酒の研究を行なって醸造技術と品質の向上を図るため明治37年に完成した政府機関の遺構で、第一工場はその中核施設。設計は大蔵技師・妻木頼黄(つまきよりなか)で、国

矢部規矩治像

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