増上寺・旧方丈門(黒門)

増上寺・旧方丈門(黒門)

東京都港区芝公園4丁目、日比谷通りに面する三解脱門(さんげだつもん/国の重要文化財)の南側に建つのが、旧方丈門(黒門)。増上寺方丈の表門(庫裡門)でしたが、明治維新後に鐘楼堂脇に移築され、昭和55年の善導大師1300年遠忌を期に三解脱門の横に移築保存されています。

増上寺の通用門として保存される黒漆塗りの四脚門

移築の際に門扉は破損が著しいため取り除かれていますが、表側の飛檐垂木(ひえんだるき)の大部分、東側の破風板(はふいた)などを改修しています。

黒漆塗り(くろうるしぬり)であったため「黒門」と通称されています。
黒漆は、極彩色の彫刻を引き立てるなどの役割を果たしていました。

江戸時代初期の増上寺創建時の主要伽藍は、すべて朱の漆塗り。
朱塗りの建物が並ぶなかで黒漆はひときわ目立つ存在だったと推測できます。

江戸時代初期の特徴を示す様式から、17世紀後半の築と推測され、大門とともに港区の有形文化財に指定されています。
寺伝では、慶安年間(1648年~1652年)、3代将軍・徳川家光の寄進としています。

江戸時代、法主の居所で、大僧正としての公務を遂行する場所が本坊で、大僧正(大僧正を「方丈」と称していました)が所在することから、本坊を方丈と呼称。
徳川将軍などが参詣する場合にも、この方丈で召し換えや謁見を行なっていました。
将軍のための空間を有した方丈の表門なので、かなりの重要性を帯びていたことがわかります。

明治維新の上知令(あげちれい=土地没収命令)で増上寺は多くの土地や塔頭を失っていますが、中核でもあった方丈のあった地にも、北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれています。
方丈のあった場所は、現在の芝3丁目、御成門交差点付近の芝公園4号地、港区立みなと図書館、御成門小学校一帯で、東京タワーを眺める公園などになっています。

増上寺・旧方丈門(黒門)
名称 増上寺・旧方丈門(黒門)/ぞうじょうじ・きゅうほうじょうもん(くろもん)
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
関連HP 増上寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄三田線御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 10台/無料、または、東京タワーパーキングセンター・地下(200台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 増上寺 TEL:03-3432-1431
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

増上寺

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