東京駅新幹線記念碑

東京駅新幹線記念碑

東京都千代田区丸の内1丁目、東京駅の18番・19番ホームの南端に立つのが、東京駅新幹線記念碑(鉄道建設記念碑)。昭和48年に東海道新幹線の建設に尽力した「新幹線の父」・第4代国鉄総裁の十河信二(そごうしんじ)のレリーフを埋め込んだ記念碑です。

東海道新幹線建設に尽力した十河信二の記念碑

十河信二
レリーフに「似とらん」と語った十河信二

青函連絡船・洞爺丸事故(昭和29年)、宇高連絡船・紫雲丸事故(昭和30年)と連続した鉄道連絡船の沈没事故を受け、3代目総裁・長崎惣之助が引責辞任したことで、71歳という高齢ながら説得を受けて昭和30年に国鉄総裁を引き受けた十河信二。

就任後には、国鉄の電化、さらにはオンライン乗車券発売システム「マルス」の導入などの近代化を進め、長年の赤字を脱却して黒字決算に変え、「夢の超特急」とも呼ばれた東海道新幹線の実現に傾倒します。
計画段階では「無用の長物」とする反対論も多く、建設予算の増大化に批判も集まり、建設予算超過の責任を背負う形で開通前年の昭和38年5月19日に国鉄総裁を辞任。
昭和39年10月1日、東京駅で行なわれた新幹線出発式には、呼ばれることもありませんでした。

18番・19番ホーム先端の東京駅新幹線記念碑には、「一花開天下春」(いっかひらいててんかはるなり)の文字が刻まれていますが、これは十河信二の座右の銘で、長い苦労に耐え精進した先に一輪の花が開き、天下に春の訪れを感じる」という意で、南宋・虚堂智愚(きどうちぐ)禅師の語録『虚堂録』にある言葉です。

この記念碑を立てた時の国鉄総裁は、新幹線計画には消極的で、十河信二総裁と反りが合わず昭和37年に国鉄を退任した磯崎叡(いそざきさとし/第6代国鉄総裁、生産性向上運動で労組と対立し、激しい労働運動が発生)。
レリーフ建設の許可を得ようとしますが、十河信二は会うことを拒絶し、ようやく会見が実現した際にも「くだらん。オレの顔にハトが糞をかけるだけだ」と乗り気ではなかったのだとか。
しかも除幕式には磯崎総裁も十河元総裁も欠席という事態に。
レリーフに関しては、十河信二は「似とらん」と不満だったと伝えられています。

そんな磯崎叡ですが、総裁引退後には「四面楚歌のなかで最先端の技術を投入して、鉄道の将来に新生面を切り開いた十河総裁の卓見は、真に敬服に値するものだ。経営の責任者にとって、長期的展望と経営哲学にもとづいた的確な判断や勇気がいかに大切であるかを、これほど鮮やかに世に示した例はきわめてまれなことではないだろうか」と語っています。

新幹線中央乗換口には、東海道新幹線開業3周年で立てられた別の「新幹線記念碑」があり、「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記されています。

東京駅新幹線記念碑
名称 東京駅新幹線記念碑/とうきょうえきしんかんせんきねんひ
所在地 東京都千代田区丸の内1丁目
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