東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)

東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)

東京都千代田区丸の内1丁目、東京駅4番線と5番線の線路の間に置かれているのが、東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)。0キロポスト(ゼロキロポスト)とは鉄道の起点を表す0km pointのこと。4番線・5番線線路の間に置かれているポストは、東北本線、東海道本線の起点を表しています。

東北本線、東海道本線の起点を表示

東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)

東京駅〜品川駅〜渋谷駅〜新宿駅〜池袋駅〜上野駅〜秋葉原駅〜東京駅と循環運転が行なわれる山手線。
厳密にいえば山手線は、品川駅〜田端駅間(20.6km)のみで、田端駅〜東京駅間(7.1km)は東北本線、東京駅〜品川駅間(6.8km)は東海道本線ということに。
あくまで運用が山手線で、同様に京浜東北線も、東海道線(東京駅〜横浜駅/その先は根岸線)と東北本線(東京駅〜大宮駅)です。

つまり、山手線のホーム横に置かれた0という印は、東海道本線(東京駅〜神戸駅間)589.5km、東北本線(東京駅 – 盛岡駅間)535.3kmの起点を表示していることに。

4番線(山手線内回り)と5番線(山手線外回り)の線路の間に設置されたブロンズ製の0キロポストは、東京駅に数ある0キロポストの中でももとも有名なもので、「起点国鉄キロ程基準原標 昭和44年12月20日作成 東京駅開業55周年記念」と記されています。
昭和47年に鉄道100周年を迎えるにあたって、昭和44年に設置されたと伝えられるポストです。

鉄道では路線ごとに起点と終点が定められ、終点から起点方面を「上り」、起点から終点方面を「下り」と呼んでいますが、JRの場合は、鉄道開業以来の歴史を受け、基本的には東京駅へ向かうのが「上り」、その逆が「下り」になっています。
東海道本線の資材運搬用に、東海道本線よりも先に開業した武豊線(たけとよせん/愛知県・大府駅〜武豊駅)は、大府駅に向かうのが「下り」と逆方向に。

ちなみに鉄道は、昭和5年まではメートルではなくマイルで表示していたため、現在の0キロポストは、0哩標(ぜろまいるひょう)と呼ばれていました。
また、キロポストも、1kmごとに立ち、24と表示されていれば、起点から24kmだということがわかります(さらにそれを補う500mごと、細分化した100mごとの3種類の標識を設置)。

東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)
名称 東京駅0キロポスト(山手線0キロポスト)/とうきょうえきぜろきろぽすと(やまのてせんぜろきろぽすと)
所在地 東京都千代田区丸の内1丁目
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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