中川船番所資料館

中川船番所資料館

東京都江東区大島、旧中川の河口(荒川との合流点)近く、小名木川との合流点の北側に建つのが江東区中川船番所資料館。資料館の南、旧中川と小名木川の合流点にあったのが中川船番所で、館内では船番所を再現するなど、徳川家康江戸入府以降の舟運の歴史を詳しく解説する貴重なミュージアムです。

3階では船番所の一部を実物大に再現

関東一円の川筋と江戸を結ぶ大動脈となっていた小名木川。

寛文元年(1661年)、小名木川の東端、中川(現在の旧中川)との合流点に小名木川を通る船の取り締まりを行なう船番所として設置されたのが中川番所です。
小名木川の隅田川口に置かれていた深川口人改之御番所が、中川、小名木川、船堀川の交差する中川口に移転し、中川番所(中川船番所)となったのが始まりです。

利根川水系を下り、中川経由で集まる北関東からの舟、江戸川などを経由して房総方面から来た舟(東北諸藩の年貢米や、天領で産する米なども含まれます)は、中川番所で荷のチェックを受けてから、小名木川に入り、日本橋界隈の河岸などで荷揚げされたのです。

3階の展示室では「中川番所」、「江戸をめぐる水運」、「江戸から東京へ」の3テーマで江戸・東京の舟運を解説。
「中川番所」では、船番所の一部を実物大に再現したジオラマを展示し、「江戸をめぐる水運」では江戸をめぐる河川水運について資料を用いて詳しく解説しています。
「江戸から東京へ」では蒸気船の登場などによる水運の近代化を通運丸や小名木川の古写真を中心に紹介、実は徳川家康入府以降の江戸東京がいかに舟運に頼った運河都市だったのかを学ぶことができます。

2階「郷土の歴史・文化紹介展示室」では、ダイヤルが付いたブラウン管式のテレビ、黒電話、ちゃぶ台など、昭和30年代~40年代の生活の様子を再現。
トロリーバスや都電など、当時の江東区の写真もあり、時代の急速な移り変わりがよくわかります。
1階では、東京釣具博物館より寄贈を受けた江戸和竿も展示しています。
特別展・企画展などを随時開催。

展望室からは小名木川、中川番所跡を眺望します。
中川番所跡は、平成7年の発掘調査で、柱材や礎石などが出土し、中川船番所資料館の南50cmほどに位置していたことが判明しています。

中川船番所資料館前には「旧中川・川の駅」もあり、旧中川の拠点施設になっています。
また、中川船番所資料館の対岸には、東京都立大島小松川公園が広がり、風の広場(旧中川と荒川に挟まれた広場)には旧小松川閘門(きゅうこまつがわこうもん)の片側が現存しています。

中川番所(中川船番所)の役割

寛文元年(1661年)の高札に記された中川番所(中川船番所)の役割は、

1. 江戸から出る船は、夜中は通さない
2. 往還するものは、顔をはっきり見せる
3. 女性は証文があっても通さない
4. 鉄砲 は二 ・ 三挺までは改めた上で 許可する
5. 人間が隠れることができる大きさの荷物は、中を調べてから通す

とあります。
「女性は証文があっても通さない」との条文がありますが、成田詣など、神社仏閣への参詣は許されており、人に対してはさほど厳しいチェックがなかったといわれています。
中川番所は、関所なので、人の往来も取り締まりましたが、それ以上に抜け荷など、物資の出入りに厳しい目を光らせていたのです。
とくに米(当時は貨幣と同じ価値がありました)に対しては、出荷先、納入先が明確でなければ通過できませんでした。
鮮度が勝負の野菜や魚など、生鮮物資などは夜間に運ばれ、江戸の人に届けられていたのです。
明治2年、全国の関所が廃止されるのと同時に、中川番所(中川船番所)も廃止に。

歌川広重が『名所江戸百景』に描いた中川口

中川船番所資料館
歌川広重『名所江戸百景 』中川口

幕末の安政4年(1857年)刊の『名所江戸百景 』に描かれた中川口。
歌川広重が生まれ育った江戸に愛着を込めて描いた晩年の大作が『名所江戸百景 』で、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行、まさに江戸末期の名所図会の集大成ともいえる作品群です(ゴッホに影響を与えたのは『名所江戸百景 』の「大はしあたけの夕立」、「亀戸梅屋舗」)。
春夏秋冬に分かれ、中川口は夏の部。
小名木川の上空から見た構図で、手前が中川に出る小名木川、奥が中川と江戸川を結ぶ船堀川(新川)です。
浮かぶ船は、行徳塩田(ぎょうとくえんでん)の塩を運ぶ行徳船で、旅客輸送も行なっていました(幕末には62隻が就航)。
江戸の大店の主人が、芸者などを引き連れて成田詣をする際には、行徳船をチャーターしたのだとか。
広重の絵では、あえて無粋な船番所を避け、左下に石垣と柵がわずかに見えるのが中川船番所です。

『江戸名所図会』に描かれた中川船番所

中川船番所資料館
『江戸名所図会』中川口

江戸時代後期の天保5年(1834年)〜天保7年(1836年)に刊行された江戸の地誌が『江戸名所図会』(斎藤月岑が7巻20冊で刊行)。
中川口が描かれているのは天保7年(1836年)発行の七巻。
角度的には広重のものとは90度ほど違い、眼前に小名木川、その後ろに中川船番所というかたちに。
佐原から江戸まで舟で1週間ほどを要したといわれますが、それでも大量輸送手段として舟運は大活躍だったのです。
関所同様に、厳しい取締が行なわれました。

中川船番所資料館
名称 中川船番所資料館/なかがわふなばんしょしりょうかん
所在地 東京都江東区大島9-1-15
関連HP 中川船番所資料館公式ホームページ
電車・バスで 都営東大島駅から徒歩5分
問い合わせ 中川船番所資料館 TEL:03-3636-9091 /FAX:03-3636-9094
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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