江戸後期の文政6年(1823年)、『東海道中膝栗毛』で知られる十辺舎一九(じっぺんしゃいっく)が『菅神御一代文章』に記した江戸界隈の七大天神。菅原道真を祭神とする天満宮。「東都七天神」はっすべて東京23区にあるため、学業成就、合格祈願など、アクセスよく祈願することができます。
その一:亀戸天神社(本所亀井戸)|江東区
所在地:東京都江東区亀戸3-6-1
創建:寛文2年(1662年)、4代将軍・徳川家綱が江戸の鎮守として社地を寄進し、社殿が造営
内容:「東の大宰府」と呼ばれる天満宮で、東都七天神の筆頭
九州・太宰府天満宮から祭神を勧請し、地形から池、太鼓橋、楼門などに至るまで、本場の太宰府にならって築かれたことから「東の大宰府」と呼ばれるように
学業向上、書道上達の「下町の天神様」として、今も信仰を集めています
拝殿と東京スカイツリーのツーショットを眺めることもでき、そのSNS映えする現代的な景観も人気です
春は梅に藤の花、秋は菊花と、四季折々の花の美しさでも有名で、『梅まつり』(例年2月第2日曜〜3月第2日曜)、『藤まつり』(4月25日〜5月5日)、『菊まつり』(10月第4日曜~11月下旬)など、それぞれの開花期にあわせて祭事も開催
参道には、元祖くず餅で名高い、文化2年(1805年)創業の「船橋屋」も
その二:湯島天満宮(湯島)|文京区
所在地:東京都文京区湯島3-30-1
創建:文明10年(1478年)、太田道灌が再建(社伝では創建は5世紀半ば)
内容:通称は湯島天神ですが、正式名は湯島天満宮
最初に江戸城を築いた太田道灌創建ということもあって、徳川家康も尊崇
明治維新以前の神仏習合時代には、上野の寛永寺が別当(神社を管理するために置かれた寺)で、大いに繁栄しました
富くじを発行し、目黒・滝泉寺(目黒不動)、谷中・感応寺(現・天王寺)とともに「江戸の三富」と称されました
春には『文京梅まつり』、秋には『文京菊まつり』も開催
その三:平河天満宮(平河糀町)|千代田区
所在地:東京都千代田区平河町1-7-5
創建:文明10年(1478年)、江戸城内に太田道灌が建立
内容:徳川家康の関東入封で、江戸城の築城のため平川門外に遷座、さらに江戸城の拡張で慶長12年(1607年)、2代将軍・徳川秀忠が現社地(貝塚)に遷しています
皇居東御苑内に残る梅林坂は、平河天満宮の旧社地です
江戸時代には徳川幕府はもちろん、近くに屋敷を構える紀州藩、尾張藩の両・徳川家、井伊家などの尊崇を受けて繁栄し、新年の賀礼には、平河天満宮の宮司は将軍に単独で拝謁できる格式がありました
その四:牛天神北野神社(牛天神小石川)|文京区
所在地:東京都文京区春日1-5-2
創建:元暦元年(1184年)、源頼朝創建
内容:撫で岩と称される牛に似た石を御神体としたことで牛天神の名が通称に
2月の『紅梅まつり』、5月25日の『例大祭』、7月の『大輪朝顔まつり』、11月の『菊わらべまつり』など行事も多彩
その五:西向天神社(大久保)
所在地:東京都新宿区新宿6-21-1
創建:社伝では安貞2年(1228年)、華厳宗中興の祖、栂尾に高山寺を開いた明恵上人(みょうえしょうにん)が創建
3代将軍・徳川家光が鷹狩りの際に、荒廃していた社を見て、社殿修復のために金の棗(なつめ)の茶入れを下賜
内容:かつては東大久保村の鎮守社だった社で、京の北野天満宮から祭神を勧請
境内には幕末に富士講の講中が築造した富士塚(東大久保富士)、藤圭子のデビュー曲『新宿の女』の歌碑も
その六:五條天神社(五條下谷山下)|台東区
所在地:東京都台東区上野公園4-17
創建:社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に創建
内容:上野恩賜公園内、不忍池の畔にある天満宮
往時には天神山(現在の清水観音堂あたり)にありましたが、寛永寺黒門(旧本坊表門=現在の上野公園の南端)、さらには元禄10年(1697年)、連歌師の瀬川屋敷(現・アメヤ横丁入口)に遷座
創建の地・天神山にほど近い現在の場所に遷ったのは昭和3年
その七:関屋天満宮(芦屋天神千住大橋向)|足立区
所在地:東京都足立区千住仲町48-2
創建:社伝では天暦3年(949年)
内容:水害などにより天明7年(1787年)、仲町氷川神社の境内に遷座して境内社に
| 「東都七天神」(東京七大天満宮)とは!? | |
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