不動産・住宅サイト SUUMO(スーモ)の調査によると、調査開始以来5年連続トップを獲得していた吉祥寺が、ついに2位に。
吉祥寺を抜き去って1位に浮上したのが恵比寿なんだとか。
まあ、恵比寿には代官山もあるし・・・というのは現代人の発想。
実は、古代人の人気エリアも吉祥寺と恵比寿だった!?
恵比寿・代官山は古代人のパラダイスだった!
縄文人、そして稲作を覚えた弥生人(ルーツは、中国から山口県の長門海岸あたりに上陸したと推定されています)。
きれいな水が手に入り、ブナなどの広葉樹の森が広がり、そして獣が多い場所。
縄文人も身近な場所に植物を栽培したことがわかっているので、ちょっとした開けた土地も必要でしょう。
弥生人ともなれば稲作や畑作のできる土地、それが最優先かもしれません。
実は、吉祥寺と恵比寿、「古代人が大好きだった証拠」がたくさん見つかっています。
まずはライバルの恵比寿。
おしゃれな街とのイメージに隠れていますが、恵比寿界隈(かいわい)からは数多くの古代人の営みの跡が見つかっています。
たとえば、恵比寿2丁目の豊沢貝塚。縄文後期~晩期のもの。
恵比寿4丁目からも縄文集落の跡が発見されています。
弥生時代を経て古墳時代になっても人々の営みは続きます。
恵比寿南1丁目の渋谷塚古墳、恵比寿4丁目の加計塚(かけづか)古墳(加計塚小学校になっています)と、さらに恵比寿駅を挟んだ反対側の恵比寿南4丁目にも福徳稲荷古墳跡と古墳だらけ。
渋谷川を挟んで両岸の台地上に古墳が多数構築されていました。
「渋谷川の右岸にあたる代官山から恵比寿界隈には、現存する古墳だけで2基、古墳跡が3基と5基の古墳があります」
とは、地元の教育委員会の話。
代官山までは歩いても10分ほどですが、ここも猿楽塚古墳北塚・南塚が。
とまあ、古墳好きにとっては、「古墳でコーフン」状態なのであります。
↑オシャレなイメージの恵比寿ですが、実は古墳などの古代遺跡がわんさか
吉祥寺では1万5000年前の焼鳥屋が発見された!?
さてさて、1500年後の東京に戻って、吉祥寺へ。
吉祥寺の老舗焼鳥店「いせや総本店公園店」(武蔵野市吉祥寺南町1)が、老朽化のため建て替え工事を行なった際(平成24年)に、旧石器時代(約1万5000年前)のものと推定される「礫(れき)群」が4基発見されました。
拳(こぶし)ほどの大きさの石が集まっている遺構で、古代人が火を使った調理場だったとか。
1万5000年前に古代人が焼き鳥を焼いた場所に、焼き鳥屋!
(いせや公園店は昭和60年オープン)。
なんだか、吉祥寺も負けてはいない感じです。
↑改築前の「いせや総本店公園店」。この建物の下に旧石器時代の調理場が!
古代人は湧水の近くに家を構えた!
実は武蔵野市も吉祥寺南町1丁目、吉祥寺南町3丁目に縄文遺跡。
吉祥寺東町1丁目に古墳、吉祥寺本町3丁目(こんこん塚遺跡/現・井之頭小学校)。
武蔵野市吉祥寺南町1丁目、御殿山1丁目、三鷹市井の頭3丁目・4丁目にわたる広範囲な場所が、実は、東京都が指定する井の頭池遺跡群。
井の頭池をとりまく台地には大規模な遺跡群で、恵比寿・代官山が渋谷川の河畔の台地なら、こちらは神田川源流の台地。
「武蔵野台地における湧水池周辺の原始時代遺跡の代表例。まさに重要な遺跡群なんです」(東京都教育委員会)。
↑井の頭池の源頭部にある「お茶の水」と呼ばれる湧水。この近くに「いせや総本店公園店」があります
古代人の住まいの跡を探してみよう
古代にタイムスリップして、「住みたい町」を調べても、なんだか吉祥寺と恵比寿は1位を争う予感が。
古代と現代、通じるものは何なのでしょう。
文化、水辺の自然環境、緩やかな起伏・・・。
御殿山1丁目遺跡は井の頭恩賜公園内の井の頭弁財天近く。
公園を散策する際には「古代人の住まいの跡」をぜひ探してみてください(TOPの画像は御殿山遺跡の住居跡)。
きっと、それは、「古代人の井之頭パークサイドマンション」に違いありません。
↑井の頭弁財天の横には井の頭池遺跡群を解説する案内板も設置されています