東京都中央区日本橋小伝馬町、十思公園の南側に建つのが、小伝馬町身延別院。明治16年、伝馬町牢屋敷跡に獄死者・刑死者の菩提を弔うべく創建された日蓮宗の寺で、身延山久遠寺の別院。幕末に吉田松陰や橋本左内も獄死した伝馬町牢屋敷跡は明治になって荒れ地となっていましたが、寺院などに転用されたのです。
伝馬町牢屋敷跡に建立された身延山久遠寺の東京別院
本尊は、延慶3年(1310年)龍華樹院日像(日蓮最後の弟子)作と伝わる、像高71cmの坐像。
檜材の寄木造りの願満高祖日蓮大菩薩像(「願満祖師」と通称される日蓮像)ですが、胎内に明応6年(1497年)7月、施主・河島盛正との墨書銘があることから、室町時代に仏師・山城発教定蓮が造立したことが判明、製作年代の明確な日蓮聖人の貴重な坐像ということから東京都の有形文化財に指定されています。
もともと身延山久遠寺の宝蔵に安置されていたもので、身延から江戸に奉持され江戸で開帳されていたもの(身延山の出開帳は有名で、嵯峨清涼寺、成田山新勝寺、信濃善光寺と並んで江戸出開帳の四天王と称されていました)。
日蓮宗大教院(教育施設、大正大学のルーツのひとつ)が芝・承教寺に建立された際に、芝に遷され、さらに身延別院(当初は祖師堂で現・十思)の創建で、本尊となったもの。
関東大震災に際しては迫る火の手を避けて、本尊などの寺宝を伝馬船に乗せて避難しますが、混乱で行方知らずに。
半月後に船橋の海岸に漂着し、過去帳などから身延別院のものと判明し、寺に戻りました。
東京大空襲でも本尊横に焼夷弾が落ちましたが、燃え広がることはなかったため、「大聖人のなせる奇瑞」とされています。
現存する本堂は東京大空襲から奇跡的に焼失を逃れた昭和4年の築(関東大震災での焼失後の再建)。
境内にある「油かけ大黒天神」は、昭和の大俳優・長谷川一夫(はせがわかずお)の妻・長谷川しげの発願。
長谷川一夫の出身地、京・伏見にある油掛地蔵(西岸寺)のご利益は有名ですが、長谷川しげが東京にも祀って大勢の人と結縁をという夢告を受け、身延別院に創建されたものです。
日本橋蒲焼商組合の鰻供養塔、伝馬町牢屋敷獄死者の霊を弔う御題目供養塔、罪障消滅、当病平癒の御利益がある浄行菩薩などもあり、見どころも多数。
小伝馬町 身延別院 | |
名称 | 小伝馬町 身延別院/こでんまちょう みのぶべついん |
所在地 | 東京都中央区日本橋小伝馬町3-2 |
関連HP | 小伝馬町 身延別院公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ小伝馬町駅から徒歩1分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 小伝馬町 身延別院 TEL:03-3661-3996/FAX:03-3663-2766 |
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