西光寺・近藤勇座像

西光寺・近藤勇座像

東京都調布市上石原、京王線西調布駅前、旧甲州街道沿いに建つ天台宗の寺が、西光寺(さいこうじ)。慶応4年(1868年)、甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)として甲府制圧を目指して甲州街道を下る近藤勇は、故郷・上石原村の西光寺で休息をとっています。境内には平成13年に建立された近藤勇座像があります。

近藤勇が甲府に進軍途中で休息した、故郷にある寺

近藤勇は武蔵国多摩郡上石原村(現・東京都調布市野水、野川公園の南側)の出身で、慶応4年(1868年)には大久保剛と改名、甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を甲府に向けて出陣します(新政府軍が甲府に迫っていました)。
故郷の上石原村では駕籠を降り、上石原村の鎮守で村人たちの尊崇を集める上石原若宮八幡(西光寺の南に位置し、往時の本殿が現存)に向かって戦勝を祈願し、西光寺で休息。
門前の中村勘六家で歓待を受けた後、村人に送られながら村境まで歩いています。

対する新政府軍は、板垣退助が甲府入城で勝敗が決まるという考えから、3月5日(西暦3月28日)いち早く甲府城を占有。
3月6日(西暦3月29日)、勝沼で甲陽鎮撫隊を撃退し、近藤勇も敗走、下総流山に潜伏しますが追手が迫って新政府軍に出頭、江戸・板橋で刑死しています。

座像を設置したのは、調布市の近藤勇と新選組の会で、没後130を記念し、近藤勇座像建立委員会をつくり、西光寺に設置したもの。

調布市には近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)もあり、西光寺までは調布飛行場を隔てて、3kmほどの距離です。
徒歩移動だと掩体壕(えんたいごう)などを見学しながら1時間ほどかかります。

近藤勇の像は、板橋区・JR板橋駅前の近藤勇墓所(永倉新八により建立された墓所)、新選組結成の京都・壬生寺、近藤勇の首を埋葬したと伝わる愛知県岡崎市の法蔵寺にあります。

なお、甲陽鎮撫隊という名称に関しては同時代の史料には鎮撫隊とのみ記載されているため、明治時代以降に定着した通称名で、当時の呼称だあったかは定かでありません。

西光寺・近藤勇座像
名称 西光寺・近藤勇座像/さいこうじ・こんどういさみざぞう
所在地 東京都調布市上石原1-28-3
関連HP 調布市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 京王電鉄西調布駅から徒歩5分
問い合わせ 西光寺 TEL:0424-82-3320
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

東京都調布市野水、都立野川公園と調布飛行場・武蔵野の森公園に挟まれた一画にあるのが、近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)。人見街道と小金井に通じる道の辻に位置しますが、往時の建物は、戦時下の昭和18年、調布飛行場が首都防衛に使われることから取り

西光寺・近藤勇座像

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