近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

東京都調布市野水、都立野川公園と調布飛行場・武蔵野の森公園に挟まれた一画にあるのが、近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)。人見街道と小金井に通じる道の辻に位置しますが、往時の建物は、戦時下の昭和18年、調布飛行場が首都防衛に使われることから取り壊され、井戸のみが現存しています。

近藤勇産湯の井戸のみ現存

近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

新選組局長の近藤勇は、天保5年10月5日(1834年11月5日)、多摩郡上石原村辻(現・調布市野水)の百姓・宮川久次郎の三男として生誕(幼名・宮川勝五郎)。

嘉永元年(1848年)、長兄の宮川音五郎などとともに江戸・市谷(現・東京都新宿区市谷柳町25)で近藤周助(近藤周斎)が営む天然理心流(てんねんりしんりゅう)の剣術道場「試衛場」に入門。
嘉永2年(1849年)、近藤周助の養子となり、近藤姓を名乗るようになっています。

近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)と道路を隔てた場所には、天然理心流5代目を継いだ近藤勇五郎(近藤勇の長兄・宮川音五郎の子で、近藤勇の婿養子)が開き、山岡鉄舟が命名した道場「撥雲館」(はつうんかん)がありますが、外観のみ見学可能。

出山横穴墓群8号墓
近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)
名称 近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)/こんどういさみせいかあと(こんどういさみうぶゆのいど)
所在地 東京都調布市野水1-6-8
関連HP 調布市公式ホームページ
電車・バスで JR三鷹駅から小田急バス榊原記念病院、朝日町三丁目、車返団地行きで龍源寺下車、徒歩1分
問い合わせ 調布市郷土博物館 TEL:042-481-7656
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

近藤勇墓所

新撰組局長・近藤勇は、下総国流山(千葉県流山市)に駐屯した際に、新政府軍に捕縛され、当時、新政府軍の置かれた板橋宿まで連行され、板橋刑場で横倉喜三次、石原甚五郎によって斬首されています。首は京の三条河原で梟首(きょうしゅ)にされています。J

日野宿本陣

日野宿本陣

東京都日野市日野本町2丁目にある東京都内に現存する唯一の本陣の遺構が、日野宿本陣。甲州街道の日本橋から数えて10番目の宿場町、日野宿の本陣で、新選組局長の近藤勇と土方歳三(ひじかたとしぞう)、沖田総司などが出会うのは、本陣の前に築かれた天然

武蔵野の森公園

武蔵野の森公園

平成12年4月1日に開園した三鷹市、府中市と調布市にまたがる38.5haという広大な都立公園が、武蔵野の森公園。調布飛行場(都営の空港)を取り囲むように広がるのは、戦前は陸軍の、戦後は米軍の飛行場と基地だったから。米軍からの返還を受け、公園

龍源寺・近藤勇の墓

龍源寺・近藤勇の墓

東京都三鷹市大沢、大宮八幡宮(現・杉並区大宮)へと通じる人見街道沿いに建つ曹洞宗の寺、龍源寺は、近藤勇の菩提寺。境内には東京都の旧跡に指定される近藤勇の墓があります。寺の西側に近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)があり、一帯が近藤勇の生まれ故郷

西光寺・近藤勇座像

西光寺・近藤勇座像

東京都調布市上石原、京王線西調布駅前、旧甲州街道沿いに建つ天台宗の寺が、西光寺(さいこうじ)。慶応4年(1868年)、甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)として甲府制圧を目指して甲州街道を下る近藤勇は、故郷・上石原村の西光寺で休息をとっています

近藤勇生家跡(近藤勇産湯の井戸)

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