和田倉濠

和田倉濠

東京都千代田区皇居外苑、江戸城本丸(現在の皇居)の東、江戸時代には有力大名の屋敷が並んだ外濠公園の東側に南北に通る内堀のひとつが、和田倉濠(わだくらぼり)。南に馬場先濠、そして日比谷濠、西に桔梗濠、大手濠と続き、濠には和田倉門跡へと続く和田倉橋が架かっています。

江戸城の天下普請の際、ここに米倉が置かれたことが名の由来

和田倉濠
和田倉濠に架かる和田倉橋、背後の建物はパレスホテル東京

徳川家康が江戸城を天下普請(てんかぶしん)として諸大名を総動員して築かせた際、一帯を蔵地(一ノ蔵地=米倉)と定め、荷揚場を配し、さらに入口として「蔵の御門」と呼ばれた和田倉門を置き、和田倉橋を架橋したのが名の由来です。
現在、和田倉門は枡形の石垣のみが現存、往時の雰囲気を今に伝えています。

天下普請としての江戸城の拡張工事は慶長8年(1603年)にスタートしていますが、和田倉という名が生まれたのは天守台の石垣工事が行なわれた慶長12年(1607年)頃のこと。
江戸城の拡張時、南側に続く馬場先濠、日比谷濠は、日比谷入江といわれる湾奥で(湾口は現在の新橋あたり)、和田は、わたは海を意味する古語です(わたつみ=海の神)。
神田山(現在の御茶ノ水、明治大学駿河台キャンパスあたりにあった山)を切り崩し、日比谷濠、馬場先濠などを残して日比谷入江を埋め立て(現在の丸紅ビルあたりが日比谷入江の最奥で、平川の河口部分でした)、湾の最奥部分の土地を補強し、倉を建てたということに。
内堀、外堀は物資の運搬にも使われたため、舟入となっていました。

和田倉濠横の米倉は、江戸城の拡張に伴って、元和6年(1620年)、蔵前へと移転しています。

和田倉橋を渡り、和田倉門を入った和田倉濠の内側には和田倉噴水公園が整備されていますが、江戸時代には、御用屋敷や厩(うまや)、あるいは大名屋敷などに使われていました(時代によって用途が変遷しています)。

和田倉濠に面して「パレスホテル東京」が営業し、和田倉濠を眺める「オールデイダイニング グランド キッチン」ではランチ(平日ランチコース、ウィークエンドランチコース)も人気。
内堀散策時の少しゴージャスなランチスポットに絶好です。

和田倉濠
和田倉濠の南側、宮城和田倉門守衛所跡からの眺め
和田倉濠
和田倉濠
名称 和田倉濠/わだくらぼり
所在地 東京都千代田区皇居外苑3
関連HP 国民公園協会公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄二重橋駅、東京メトロ大手町駅から徒歩3分。JR東京駅から徒歩8分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和田倉噴水公園

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日比谷濠

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馬場先濠

馬場先濠

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桔梗濠

1614(慶長19)年に造られた桔梗門(内桜田門)近くにある江戸城の内濠(内堀)。最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに道灌が築いた「泊船亭」があった地と伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から桔梗門、桔梗濠という名が付いたと推測できます

大手濠

東京都千代田区千代田、平川門と大手門の間にある江戸城の内濠(内堀)が大手濠(大手堀)。大手とは追手、つまりは玄関(正門)という意味なので、この大手濠のある側が江戸城の正面ということになります。南には桔梗濠、西には平川濠が続いています。濠の外

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