有章院霊廟二天門

有章院霊廟二天門

東京都港区芝公園3丁目、東京プリンスホテルの駐車場の東、日比谷通りに面して建っているのが、有章院霊廟二天門(ゆうしょういんれいびょうにてんもん)。7代将軍・徳川家継の霊廟の門で、江戸時代には現在の東京プリンスホテルの敷地一帯には徳川家継の霊廟が築かれていました。

わずか4歳で将軍に就いた徳川家継の霊廟の門が現存

有章院霊廟二天門

7代将軍・徳川家継は、第6代将軍・徳川家宣の四男ですが兄3人が早世しているために跡継ぎの地位に。
徳川家宣は、四男・鍋松(家継)がまだ幼少だったこともあり、尾張藩主・徳川吉通を将軍に、もしくは鍋松を将軍にして吉通が代行と遺言をしますが、新井白石らは尾張藩と幕臣との対立を危惧し、鍋松を将軍に就け、実質的には新井白石が後見人になったのです。
そんな徳川家継ですが、正徳6年4月30日(1716年6月19日)、数え8歳(満6歳)で夭逝(ようせい)。
尾張藩主・徳川継友が将軍になるかと思われましたが、結果として紀州藩主・徳川吉宗が8代将軍に就任しています。

8代将軍となった徳川吉宗は、享保2年(1717年)、芝・増上寺境内に有章院霊廟が築きますが、これが将軍家における最後の霊廟で、以降は墓塔が寛永寺または増上寺に築かれるのみとなっています。

日光に劣らぬといわれた有章院霊廟は、現在の東京プリンスホテルと芝公園の敷地で、北側には増上寺の中核(大僧正が公務を行なう施設)をなす本坊(方丈)、そして南側に増上寺の本堂などの伽藍が連なっていました。
二天門、勅額門、拝殿、霊屋、鐘楼などが並ぶ壮麗な建築でしたが、東京大空襲で焼失し、二天門のみが現存しています。
有章院霊廟の南には、6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)がありましたが、東京大空襲で焼失し、同様に東京プリンスホテルと芝公園になっています。

有章院霊廟二天門は、切妻造り、銅板葺きの八脚門で、仏法守護の役目を持つ広目天、多聞天が祀られることから二天門と称されています(南側に隣接する文昭院霊廟の二天門に持国天、増長天が祀られ、四天王を形成)。
広目天、多聞天の制作は、京の仏師・28世法橋康伝(ほうきょうこうでん)とその弟子であることが判明しています。
建っている場所は往時のままで二天門の先には勅額門があり、勅額門をくぐると右手に鐘楼、左手に水盤舎、さらに奥の中門をくぐって霊屋(たまや)に到達し、霊屋の背後に宝塔を配する構造でした(文昭院霊廟も同じ)。
東京大空襲で霊屋を焼失後、宝塔は増上寺の徳川家墓地に移転しているので、東京プリンスホテルの敷地内には有章院霊廟二天門以外には往時を偲ぶものはありません。

東京にある将軍家の霊廟建築としては、芝の増上寺に7代将軍・徳川家継の有章院霊廟二天門、芝公園(旧増上寺境内)に2代将軍・徳川秀忠の旧台徳院霊廟惣門が現存。
上野寛永寺には、4代将軍・徳川家綱の厳有院霊廟勅額門、5代将軍・徳川綱吉常憲院霊廟勅額門が現存しています。

有章院霊廟二天門
名称 有章院霊廟二天門/ゆうしょういんれいびょうにてんもん
所在地 東京都港区芝公園3-3
関連HP 港区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄御成門駅から徒歩すぐ
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

増上寺

徳川将軍家の菩提寺として有名。寺としての歴史は古く、その創建は1393(明徳4)年まで遡ります。徳川家康の菩提寺として芝に移されてからは、東国随一の浄土宗寺院として繁栄を続けてきましたた。東京大空襲の戦火でほとんどの建物を焼失してしまいまし

旧台徳院霊廟惣門

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東京都港区芝公園4丁目、芝公園の一画に現存するのが、旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょうそうもん)。台徳院とは2代将軍・徳川秀忠のこと。没後の寛永9年(1632年)にその御霊屋(おたまや)として建築された霊廟ですが、惣門のみが現存

常憲院霊廟勅額門

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増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

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増上寺・徳川将軍家墓所

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御成門

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有章院霊廟二天門

有章院霊廟二天門

東京都港区芝公園3丁目、東京プリンスホテルの駐車場の東、日比谷通りに面して建っているのが、有章院霊廟二天門(ゆうしょういんれいびょうにてんもん)。7代将軍・徳川家継の霊廟の門で、江戸時代には現在の東京プリンスホテルの敷地一帯には徳川家継の霊廟が築かれていました。

わずか4歳で将軍に就いた徳川家継の霊廟の門が現存

有章院霊廟二天門

7代将軍・徳川家継は、第6代将軍・徳川家宣の四男ですが兄3人が早世しているために跡継ぎの地位に。
徳川家宣は、四男・鍋松(家継)がまだ幼少だったこともあり、尾張藩主・徳川吉通を将軍に、もしくは鍋松を将軍にして吉通が代行と遺言をしますが、新井白石らは尾張藩と幕臣との対立を危惧し、鍋松を将軍に就け、実質的には新井白石が後見人になったのです。
そんな徳川家継ですが、正徳6年4月30日(1716年6月19日)、数え8歳(満6歳)で夭逝(ようせい)。
尾張藩主・徳川継友が将軍になるかと思われましたが、結果として紀州藩主・徳川吉宗が8代将軍に就任しています。

8代将軍となった徳川吉宗は、享保2年(1717年)、芝・増上寺境内に有章院霊廟が築きますが、これが将軍家における最後の霊廟で、以降は墓塔が寛永寺または増上寺に築かれるのみとなっています。

日光に劣らぬといわれた有章院霊廟は、現在の東京プリンスホテルと芝公園の敷地で、北側には増上寺の中核(大僧正が公務を行なう施設)をなす本坊(方丈)、そして南側に増上寺の本堂などの伽藍が連なっていました。
二天門、勅額門、拝殿、霊屋、鐘楼などが並ぶ壮麗な建築でしたが、東京大空襲で焼失し、二天門のみが現存しています。
有章院霊廟の南には、6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)がありましたが、東京大空襲で焼失し、同様に東京プリンスホテルと芝公園になっています。

有章院霊廟二天門は、切妻造り、銅板葺きの八脚門で、仏法守護の役目を持つ広目天、多聞天が祀られることから二天門と称されています(南側に隣接する文昭院霊廟の二天門に持国天、増長天が祀られ、四天王を形成)。
広目天、多聞天の制作は、京の仏師・28世法橋康伝(ほうきょうこうでん)とその弟子であることが判明しています。
建っている場所は往時のままで二天門の先には勅額門があり、勅額門をくぐると右手に鐘楼、左手に水盤舎、さらに奥の中門をくぐって霊屋(たまや)に到達し、霊屋の背後に宝塔を配する構造でした(文昭院霊廟も同じ)。
東京大空襲で霊屋を焼失後、宝塔は増上寺の徳川家墓地に移転しているので、東京プリンスホテルの敷地内には有章院霊廟二天門以外には往時を偲ぶものはありません。

東京にある将軍家の霊廟建築としては、芝の増上寺に7代将軍・徳川家継の有章院霊廟二天門、芝公園(旧増上寺境内)に2代将軍・徳川秀忠の旧台徳院霊廟惣門が現存。
上野寛永寺には、4代将軍・徳川家綱の厳有院霊廟勅額門、5代将軍・徳川綱吉常憲院霊廟勅額門が現存しています。

有章院霊廟二天門
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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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