ハチ公前広場・忠犬ハチ公像

ハチ公前広場・忠犬ハチ公像

東京都渋谷区道玄坂、渋谷の待ち合わせ場所として有名なJR渋谷駅北口にある駅前広場がハチ公前広場。広場にある犬の銅像が「忠犬ハチ公」(2代目ハチ公像)で、広場の名の由来にもなっています。対面型アバターロボットなども備えた観光案内施設「SHIBU HACHI BOX」も設置されています。

忠犬ハチ公の逸話を今に伝える広場

この「ハチ」とは、大正14年、渋谷の松濤町に住んでいた東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士が飼っていた秋田犬のこと。
ハチは、大正12年11月10日、秋田県北秋田郡二井田村大子内(現・大館市大子内)の斎藤義一氏の家で誕生。
生後2ヶ月ほどの、大正13年1月14日、米俵に入れられて急行第702列車の荷物車に載せられ、大館駅を出発。

毎日主人・上野博士を渋谷駅まで送り迎えしていましたが、大正14年5月21日、上野教授は脳溢血で倒れ、急死。
その後も、何年も駅前で主人の帰りを待ち続けたという逸話が残され、世界中に報道されて話題になりました。
ハチは、昭和10年3月に亡くなり、上野博士が眠る青山墓地に埋葬されました。

初代の銅像(彫塑家・安藤照制作)はハチがまだ生存中の昭和9年に建てられたものでしたが、第2次世界大戦中の金属供出で、終戦の前日、昭和20年8月14日に、鉄道省浜松工機部で溶解され、機関車の部品に転用されています。

現在の2代目のハチ公像は、安藤照の息子・安藤士の制作で、昭和23年の再建。
軍国主義の鼓舞に利用された「忠犬」という言葉ではなく「愛犬」ハチ公にしようという意見があったが、最終的には往時のままの「忠犬」ということに。
晩年のハチ公の左耳が垂れているのは、犬に噛まれたから。

昭和12年に、ハチの故郷・秋田県で講演したヘレン・ケラーは、秋田犬を贈られて飼育したこともある秋田犬のファンで、昭和23年8月30日に再建されたハチ公像を訪問しています。

渋谷スクランブル交差点につながる一等地にあるハチ公前広場。
渋谷駅の改札も「ハチ公口」です。

ちなみに、平成元年の駅前広場拡張を機に、ハチ公像は移転し、向きもそれまでの北向きから、主人を出迎える東向き(ハチ公口方向)に修正されています。

ハチ公前広場・忠犬ハチ公像
名称 ハチ公前広場・忠犬ハチ公像/はちこうまえひろば・ちゅうけんはちこうぞう
所在地 東京都渋谷区道玄坂2
電車・バスで JR渋谷駅ハチ公口下車
ドライブで 首都高速高樹町ランプから約2km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
上野英三郎の墓・忠犬ハチ公の碑

上野英三郎の墓・忠犬ハチ公の碑

東京都港区南青山2丁目の青山霊園にあるのが、上野英三郎の墓・忠犬ハチ公の碑。忠犬として有名なハチ公は、飼い主の東京帝国大学(現・東京大学)教授の上野英三郎(大正14年5月21日没)が飼っていた秋田県で、上野英三郎の墓の横にある小さい祠がハチ

いけふくろう

いけふくろう

東京都豊島区南池袋1丁目、JR池袋駅東口、北改札近くにあるのが、いけふくろう。東京駅の銀の鈴、渋谷駅のハチ公前広場・忠犬ハチ公像とともに、東京の三大待ち合わせスポットともいえる場所で、チェリーロードと北通路の交点、池袋PARCO本館の地下1

渋谷駅・モヤイ像

渋谷駅・モヤイ像

東京都渋谷区道玄坂1丁目、渋谷駅の南改札側、ロータリー(バスのりば)に面して立っているのが、新島(にいじま)から寄贈を受けたモヤイ像。昭和55年に新島村から寄贈された像で、ハチ公ほど有名ではないため、見つけやすいという利点から、学生サークル

ハチ公前広場・忠犬ハチ公像

関連記事

よく読まれている記事