乃木公園

乃木公園

東京都港区赤坂8丁目、外苑東通りに面した港区立の公園が、乃木公園。明治天皇大喪の日、妻・静子とともにこの乃木邸で殉死した乃木希典(のぎまれすけ)。死後、遺言により、土地と建物(現在の旧乃木邸)は公園として東京市に寄付され、敷地全体は乃木公園として公開されています。

園内には「乃木将軍と辻占売少年像」も立つ

乃木公園
乃木将軍と辻占売少年像

大正2年に公園として寄付され、大正4年に公開された旧乃木邸。
旧乃木邸と馬小屋を中心に、乃木邸全体が公園として公開されています。
旧乃木邸の邸内は文化財保護のため日時限定での公開ですが、公園部分は日中なら見学が可能。

公園内にある銅像「乃木将軍と辻占売少年像」は、明治24年、乃木希典が陸軍少将時代に金沢でのエピソードをモチーフに築いたもの。

金沢の石川県庁前で出会った今越清三郎少年は、満6歳ながら辻占いを売りながら一家の生計を支えていました。
この少年に2円を手渡した乃木希典ですが、そのことが、新聞に取り上げられ、学校の悪童達の知るところなり、いじめられ、入ったばかりの小学校をやめることに。
金沢の金箔屋・相木弥太郎へ奉公に入り、独立、さらに京都で学ぶなど、今越清三郎は、金箔業の世界で大きな実績を残すまでに出世(昭和25年、金閣寺再建の金箔も今越清三郎が担当、昭和49年没)。

昭和7年、乃木将軍の軍神化とともに、浪曲『乃木大将と辻占売り』がヒットとなり、一躍有名に。

像は昭和43年、ボトリング工場として機能したニッカウヰスキー東京工場にあったニッカ池(現在の六本木ヒルズ・毛利庭園、毛利池の下に隠されています)の畔に建立、六本木6丁目の再開発でゆかりの旧乃木邸へと移されたもの。
ニッカ池の畔に建立されたのは、長府藩毛利家上屋敷の跡で、乃木希典は、嘉永2年11月11日(1849年12月26日)、藩邸で生まれているため(父・乃木希次は長州藩の支藩・長府藩の藩士)、ゆかりの地だったのです。

乃木公園
旧乃木邸
乃木公園
名称 乃木公園/のぎこうえん
所在地 東京都港区赤坂8-11-32
関連HP 高橋是清翁記念公園公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ乃木坂駅から徒歩1分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 高橋是清翁記念公園管理事務所 TEL:03-6384-5113/FAX:03-6384-5116
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)

六本木ヒルズ内の日本庭園が毛利庭園。テレビ朝日が隣接するため、ニュース番組などで毛利庭園からの中継も多いので全国的にも馴染みの深い場所になっています。毛利甲斐守邸跡(長門長府藩麻布上屋敷の跡)でもあり、赤穂浪士の岡嶋八十右衛門ら10人が切腹

旧乃木邸

旧乃木邸

東京都港区赤坂8丁目、東京メトロ・乃木坂駅近く、乃木坂にあるのが旧乃木邸。乃木希典(のぎまれすけ)は結婚直後の明治12年、ここに移り住み、さらに明治22年、レンガ造りの馬小屋(現存)、そして明治35年、現存する母屋が竣工。大正元年に自刃した

旧乃木邸・馬小屋

旧乃木邸・馬小屋

東京都港区赤坂8丁目、東京メトロ・乃木坂駅近く、乃木坂にあるのが旧乃木邸。日露戦争の旅順攻略で知られる乃木希典が暮らした邸宅ですが、母屋に隣接するのがレンガ造りの馬小屋。母屋よりも立派ともいわれる馬小屋には、乃木希典の想いが詰まっています。

乃木坂

乃木坂

東京都港区赤坂8丁目と9丁目の間を通る坂道が、乃木坂(のぎざか)。女性アイドルグループ・乃木坂46の名の由来でもあるため、その「聖地」ともされる坂道で、坂の途中に日露戦争の旅順攻略で知られる乃木希典(のぎまれすけ)の邸宅(旧乃木邸として現存

乃木公園

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