東京都豊島区駒込5丁目にある都立霊園が、染井霊園。播州林田藩建部邸跡地に神葬墓地として開設されたのがルーツで、明治7年6月、公共墓地になったのが始まり。東京23区の四大墓地(青山、谷中、雑司ヶ谷、染井)のひとつですが、6.7haで都立霊園では最小規模の墓地。
高村光太郎、岡倉天心、二葉亭四迷の墓も
幕末には、播州林田藩(現・兵庫県姫路市)最後の藩主・建部政世(たけべまさよ)の下屋敷だった地(上屋敷は上神田明神下)。
明治維新後の明治7年6月、明治政府は東京都心部で勝手に埋葬することを禁じる代わりとして、青山神葬祭地など9ヶ所を市民のための公共墓地として指定。
明治7年9月1日、東京会議所の運営で、青山、谷中、雑司ヶ谷、染井などの公共墓地が開設されました(4ヶ所を除く墓地はその後閉鎖)。
染井墓地が共同墓地となったのは、僧侶・山田文應(やまだぶんおう)の尽力があったから。
染井霊園は、江戸時代後期にエドヒガンとオオシマザクラを交配、ソメイヨシノを生み出した上駒込村染井(大名屋敷に近い染井には植木職人が住んでいました)にあたり、園内にも100本ほどのソメイヨシノが植栽され、開花期には見事です。
園内には「東洋のナイチンゲール」ローダスカ・ワイリックの眠る外国人墓地や、旧津藩主・藤堂伯爵家、旧平戸藩主・松浦伯爵家の墓所があるほか、高村光太郎・高村智恵子・高村光雲、岡倉天心、二葉亭四迷(ふたばていしめい)、水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)らが眠っています。
雑司ヶ谷霊園、染井霊園については将来公園化する計画があるため、新規の墓地の貸付は行なわれていません。
染井霊園に眠る おもな有名人の墓
高村光太郎・高村智恵子・高村光雲=1種ロ6号1側
岡倉天心=1種イ4号14側
二葉亭四迷=1種イ5号37側
水原秋桜子=1種イ3号1側
染井霊園 | |
名称 | 染井霊園/そめいれいえん |
所在地 | 東京都豊島区駒込5-5-1 |
関連HP | 東京都公園協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR・都営地下鉄巣鴨駅から徒歩10分。JR・東京メトロ駒込駅から徒歩12分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 染井霊園管理所 TEL:03-3918-3502 |
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