東京都江東区常盤1丁目、隅田川と小名木川の合流地点近くに建つのが、芭蕉稲荷神社。芭蕉稲荷神社が鎮座する地は、松尾芭蕉が江戸深川に居を構えた深川芭蕉庵跡で、隅田川の畔には芭蕉庵史跡展望庭園、少し北には江東区芭蕉記念館があり、芭蕉を偲ぶ歴史散歩を楽しむことができます。
「古池や蛙飛びこむ水の音」の生まれた芭蕉庵があった地
延宝8年(1680年)、門弟・杉山杉風(すぎやまさんぷう)に草庵の提供を受け、新たな号「芭蕉」を使い、深川芭蕉庵と称して元禄7年10月12日(1694年11月28日)に大坂で病没するまでここを本拠としています。
貞享元年(1684年)8月の『野ざらし紀行』(伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐)、元禄2年(1689年)の『奥の細道』(『おくのほそ道』/下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前などをへて美濃国大垣まで)も、この深川芭蕉庵が旅の起点。
『奥の細道』では、隅田川を遡り、千住で下船し、日光街道を北上するルートをとっているため、千住が「奥の細道 矢立初めの地」(矢立初め=始まりの句を詠むこと)ということに。
芭蕉が蕉風俳諧を確立した句として有名な「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」も貞享3年(1686年)、『野ざらし紀行』から戻り、深川芭蕉庵で詠んだ句。
この句碑は全国各地にありますが、天保7年(1836年)、斎藤月岑(さいとうげっしん)が刊行した江戸の地誌『江戸名所図会』に「松平遠州候の庭中にありて、古池の形今猶存せりといふ」と記されています。
芭蕉に草庵を提供した門弟の杉山杉風は、江戸日本橋小田原町の魚問屋・杉山賢永の長男・鯉屋藤左衛門。
幕府御用を務めた日本橋の豪商で、草庵は、魚問屋の生簀に付帯する屋敷が前身。
『江戸名所図会』の解説に、「後、此業をもせざりしかば生洲に魚もなく、自水面に水草覆ひしにより古池の如くになりしゆゑに古池の口ずさみありしといへり」とあるように、川魚を放して生簀としていた芭蕉庵横の池は、水草が茂り、さも古池のようになっていたことで、この名句が生まれたのです。
深川芭蕉庵は芭蕉没後に松平遠江守(摂津尼崎藩主の桜井松平家)の屋敷内となり(幕末に紀州藩屋敷と交換)保存されましたが、残念ながら幕末から明治の動乱で、その遺構も失われてしまいました。
大正6年10月1日、高潮来襲(地元では大津波と呼ばれています)の後、偶然にも芭蕉が愛好したといわれる石造りの蛙が発見され、飯田源次郎など地元の人々の尽力で芭蕉稲荷神社が創建、大正10年、東京府(当時)は「芭蕉翁古池の跡」に指定しています。
芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) | |
名称 | 芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)/ばしょういなりじんじゃ(ふかがわばしょうあんあと) |
所在地 | 東京都江東区常盤1-3-12 |
関連HP | 江東区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄森下駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 江東区観光協会 TEL:03-6458-7400 |
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