芥川龍之介旧居跡

芥川龍之介旧居跡

東京都北区田端1丁目、JR田端駅近くの高台の一画にあるのが、芥川龍之介旧居跡。建物は現存していませんが、芥川龍之介は大正3年〜昭和2年の間、13年間にわたって田端に暮らし、『羅生門』、『鼻』、『河童』、『歯車』などを世に出しています。

旧居跡には記念館の設立予定も

芥川龍之介

明治時代の末から昭和初期にかけて、田端の高台には芸術家や文士たちが集まり、田端文士村を形成していました。
大正3年に田端に居を移した芥川龍之介と大正6年に田端で詩誌『感情』を創刊した室生犀星が、文士村の中心人物。

芥川龍之介は、大正2年、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学しているので、まだ帝大の学生。
大正3年2月、一高同期の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。
大正4年10月、代表作のひとつである『羅生門』を、芥川龍之介の名で『帝国文学』に発表しています。
大正5年、『新思潮』(第4次)を出版し、その創刊号の『鼻』が夏目漱石に絶賛されています(この年、帝大を卒業)。

大正9年3月30日、長男・芥川比呂志の誕生や、大正12年9月1日の関東大震災もこの田端でのこと。
多感な学生時代から、昭和2年7月24日に服毒自殺で没するまで、当時の田端435番地で暮らしていたのです。

北区は平成30年に芥川龍之介旧居跡の約半分の土地を購入し、書斎を忠実に再現した記念館をオープンする予定。

芥川龍之介旧居跡
名称 芥川龍之介旧居跡/あくたがわりゅうのすけきゅうきょあと
所在地 東京都北区田端1-19-18
電車・バスで JR田端駅から徒歩5分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
芥川龍之介の墓

芥川龍之介の墓

東京都豊島区巣鴨5丁目、日蓮宗の寺・慈眼寺(じげんじ)の境内にあるのが、芥川龍之介の墓(あくたがわりゅうのすけのはか)。彼が生前に愛用した五七桐紋が描かれた座布団が天辺にそのままデザインされるユニークな墓で、本人の遺言によってこのかたちが生

芥川龍之介旧居跡

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