厩橋

厩橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。

帝都復東京市復興局が架橋した美しい3連アーチ橋

江戸時代初期の元禄3年(1690年)に幕府が定めた、御厩の渡し(おうまやのわたし)があった場所ですが、御厩とは、西岸の御厩河岸(おんまいがし)に由来。
蔵前にあった幕府の米蔵の米を輸送するための馬を保管する厩(うまや=馬小屋)があったのです。
浅草寺・浅草界隈への入口に位置し、本所から船で多くの人々が訪れ、賑わいをみせました。

明治5年に花見客の人出でこの御厩の渡しの渡船が転覆する事故が起きたため、明治7年、初代の厩橋を架橋し(現在の100mほど下流で、有料橋)、渡船を廃止。
明治26年に鉄橋として2代目が架橋されています。

現在の橋(3径間下路式タイドアーチ橋)は、震災復興で大正15年9月着工、昭和4年9月30日完成。
施工主体は、東京市復興局で、設計は東京市土木局。
橋桁は浅野造船所(横浜市にあった浅野財閥の造船所=セメントで財をなした「京浜工業地帯の父」浅野総一郎の会社)が製作しています。
「優美な3つの曲線が連なるアーチ」ということで、蔵前橋、駒形橋、吾妻橋、白鬚橋、両国橋、言問橋とともに東京都選定歴史的建造物に。

帝都復興院(後に内務省復興局)が担当したのが隅田川六大橋(相生橋、永代橋、清洲橋、駒形橋、言問橋、蔵前橋)で、それ以外の橋は、東京市が担当して架橋しています。

ちなみに隅田川に震災復興橋梁として架けられた橋は、下流から相生橋、永代橋、清洲橋、両国橋、蔵前橋、厩橋(うまやばし)、駒形橋、吾妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)の9橋で、被害を受けなかった新大橋を含めて「隅田川十大橋」と称されています。

厩橋
明治26年架橋の2代目となる厩橋(関東大震災で焼失)
厩橋
名称 厩橋/うまやばし
所在地 東京都墨田区本所1〜台東区蔵前2・駒形2
電車・バスで 都営地下鉄蔵前駅からすぐ、東京メトロ蔵前駅から徒歩5分
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両国橋

両国橋

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千住大橋

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白鬚橋

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隅田川最下流に位置する勝鬨橋(かちどきばし)は、昭和15年に東京市で開催予定で幻となった「紀元2600年記念日本万国博覧会」のメインゲートとして計画。昭和15年、中央が可動式のアーチ橋として完成した、全長246mの跳開橋です。かつては橋の中

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震災復興橋梁

東京のシンボル 震災復興橋梁とは!?

関東大震災後の帝都復興計画で、隅田川には恒久橋として上流から言問橋、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、清洲橋、永代橋、相生橋の9橋が架けられました(相生橋は、平成10年に新橋に架け替えられています)。つまり現存する8橋が、隅田川に架かる

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