東京都新島村、新島の本村にある村営のミュージアムが新島村博物館。新島村と式根島の自然、歴史、文化を解説しています。常設展示は、新島・式根島の自然、新島・式根島の歴史、島の文化、島民の暮らしの4コーナーです。茅葺き古民家、コーガ石造りの石倉の野外展示も行なわれています。
新島、式根島の自然、歴史、文化を解説
新島特産のコーガ石(抗火石)とイタリア・リパリ島(Lipari)の軽石を比較展示、新島・式根島の遺跡から出土した石器や土器、新島の漁業を変革したの植松三郎平の棒受網改良、流人の詳細を記録した『新島流人帳』(複製製本)、新撰組の最後の隊長で明治3年に新島へ流刑になった相馬主計(そうまとのも=大工棟梁・植村甚兵衛に身柄を預けられ、寺子屋を開校、明治5年に赦免)など、新島村らしい展示が数多くあり、島特有の歴史、文化を知ることができます。
江戸時代の島流しは、遠流の地として、八丈島(青ヶ島を含む)、中流の地として三宅島、近流の地として大島、新島、利島を定めていますが、最大の配流先は、三宅島で約2300人、次が新島で1333人。
寛政8年 (1796年)には、大島、利島、神津島、御蔵島の4島が流刑地を免除され、これ以降は三宅島・八丈島・新島のみが流刑地となっています。
伊豆大島は150人に過ぎず、神津島に83人、御蔵島に50人、利島に約10人、青ヶ島に6人といった具合で、新島に数多くの流人が生活し、島に江戸の文化や情報を伝えたことがわかります。
島送りは原則として春秋の年2回(出帆業務は南北の町奉行所が交代で担当)。
小伝馬町の牢獄を出発した流人は、永代橋や霊岸島などから出航し、品川を経由して、いったん浦賀へ。
「御用」の旗を掲げ、伊豆ヘ向かい、風待ちをして、伊豆諸島へと渡ったのです。
新島の流人の第一号は、寛文8年(1668年)に島流しとなった、羽黒山の別当・天宥(てんゆう)です。
新島博物館周辺の本村には、十三社神社、流人墓地、原町の井戸などがあり、新島博物館を起点としての散策も可能。
新島村博物館 | |
名称 | 新島村博物館/にいじまむらはくぶつかん |
所在地 | 東京都新島村本村2-36-3 |
関連HP | 新島村公式ホームページ |
電車・バスで | 新島港から徒歩35分 |
ドライブで | 新島港から約2.6km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 新島村博物館 TEL:04992-5-7070/FAX:04992-5-1998 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |