「江戸前」は誰もが耳にしたことがある言葉でしょう。文字通り、江戸の前、江戸時代に江戸湾、つまりは東京湾の湾奥で産する海苔や魚介のこと。もっとも有名な江戸前の付く言葉は、江戸前寿司ですが、意外に江戸前寿司の歴史は新しく、江戸時代後期のこと。江戸前寿司のネタの海域を紹介しましょう。
江戸前とは「大川より西、御城より東」というのが定義

江戸前と聞いて誰もがピンと来るのは、江戸前寿司。
江戸湾奥で穫れた魚をひと手間かけて加工した寿司のことで、 コハダ(小肌)の酢締め、アナゴ(穴子)の煮詰め、そして漬けマグロ(江戸湾奥で揚がる回遊型のクロマグロ)などがその代表格。
江戸時代後期の文化元年(1804年)、尾張国知多郡半田村(現・愛知県半田市) で酒造業を営む中埜又左衛門(なかのまたざえもん/ミツカングループの創業者)が酒粕から醸造酢を造る製法を編み出し、酢を知多廻船で江戸に運んだことが、江戸前寿司の発展につながりました。
中埜又左衛門の酢は、値段も安く(それまでの酢は高価だったので寿司も高級品でした)、しかも甘味や旨味を有していたことから、江戸の庶民にも江戸前寿司が普及していったのです。
さてさて、その江戸前寿司の具材ですが、海域でいうと品川沖から葛西沖、漁場でいうと佃島沖を中心とするエリアです。
実は当時、海苔の産地である品川はすでに江戸の外、品川宿で、江戸前とは「大川より西、御城より東」というのが定義でした(そのためネームバリューのない品川海苔ではなく、浅草海苔として売り出したのだと推測できます)。
大川は隅田川、御城は江戸城なので、隅田川河口から日比谷入江あたりまでが江戸前ということになります。
佃島の漁民は、徳川家康が本能寺の変の伊賀越の際などに恩義を受けた摂津国・佃(現・大阪市西淀川区佃)の漁師を江戸に呼び寄せた人たち。
新たに人工島(佃島)を築いて漁業権を与えたので、その特権を活かして江戸前の魚を捕獲、余った魚を保存用に「佃煮」にしたのです。
この佃島の漁民が穫る魚介は、典型的な江戸前で、毎年11月〜3月までの冬場、中川や江戸川、後に大川(隅田川)で漁獲した白魚を江戸城に献上していたのです。
江戸前と称しながら、河川域(汽水域)も多かったことにも注目を。
| 【江戸前を知る】(1)江戸前寿司の「江戸前」の範囲とは!? | |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |














