切支丹屋敷跡
東京都文京区小日向1丁目にある禁教時代にキリシタンが集められた場所が、切支丹屋敷跡。正保3年(1646年)、惣目付(後の大目付)で宗門改役・井上政重(いのうえまさしげ=下総国高岡藩)の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋…
東京都文京区小日向1丁目にある禁教時代にキリシタンが集められた場所が、切支丹屋敷跡。正保3年(1646年)、惣目付(後の大目付)で宗門改役・井上政重(いのうえまさしげ=下総国高岡藩)の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋…
東京都文京区春日2丁目、新坂の横が徳川慶喜終焉の地(とくがわよしのぶしゅうえんのち)。徳川幕府最後の将軍となった15代・徳川慶喜は、江戸城開城後、駿府(静岡市)で暮らしていましたが、明治30年に巣鴨、さらに小石川区小日向…
東京都文京区小石川2丁目にある浄土宗の寺が、源覚寺。宝暦年間(1751年〜1764年)、目の悪い老婆に閻魔大王が自身の右目を与えて治療、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたとされたという伝承から、「こんに…
東京都文京区小日向4丁目、茗荷坂近くにある曹洞宗の寺が、林泉寺(りんせんじ)。江戸時代初めの慶長7年(1602年)、伊藤半兵衛長光を開基、通山宗徹を開山として創建。境内にあるしばられ地蔵は、盗難や物を紛失した人が、願をか…
東京都文京区湯島4丁目にある臨済宗妙心寺派の寺が、麟祥院(りんしょういん)。寛永元年(1624年)、3代将軍・徳川家光の乳母で、大奥をつくった春日局の隠棲所(いんせいじょ)として創建された寺で、春日局(かすがのつぼね)の…
東京都文京区目白台1丁目にある急坂が、胸突坂。西側が肥後細川庭園(熊本藩細川家江戸下屋敷跡)、東側がホテル椿山荘庭園(山県有朋邸跡)という景勝地にある坂で、坂下には水神社(神田上水の守護神)が鎮座するので、水神坂とも呼ば…
東京都文京区弥生2丁目にある住民の通路となっている階段が、おばけ階段。段数は40段で、途中で屈曲する階段です。上りと下りで段数が異なることから「おばけ階段」というなが生まれたもの。かつては薄暗い階段でしたが、改修されて、…
東京都文京区本郷4丁目、レトロな家並みの残る路地の一画にあるのが、樋口一葉菊坂旧居跡(ひぐちいちようきくざかきゅうきょあと)。建物は現存していませんが、樋口一葉(本名・樋口奈津)も使ったとされる井戸が、一葉の井戸(通称)…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。その墓地には数多くの著名人が眠っていますが、そのひとつが山縣有朋の墓(やまがたありとものはか)。山縣有朋は、最下級の萩藩士である中間(ちゅうげん)から身を起こして…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は母・桂昌院(けいしょういん=3代将軍・徳川家光の側室)の願いを受け、護国寺を創建。境内にある大仏(毘盧遮那仏)は、筑波…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。その墓地には数多くの著名人が眠っていますが、ひと際目を引くのが大隈重信の墓(おおくましげのぶのはか)。明治15年に東京専門学校(早稲田大学)を創立し、内閣総理大臣…
東京都文京区小石川3丁目、伝通院(傳通院)の墓地にあるのが、於大の方の墓(おだいのかたのはか)。於大の方は、慶長7年8月28日(1602年10月13日)、家康の滞在する伏見城(現・京都市伏見区)で没。墓所が伝通院ですが、…