茗荷谷駅
東京都文京区小日向4丁目にある東京メトロ丸ノ内線の駅が、茗荷谷駅(みょうがだにえき)。小石川台地と小日向台地の間にある谷の湿地で茗荷(ミョウガ)が栽培されていたのが名の由来で、東京メトロを代表する難読駅名になっています。
東京都文京区小日向4丁目にある東京メトロ丸ノ内線の駅が、茗荷谷駅(みょうがだにえき)。小石川台地と小日向台地の間にある谷の湿地で茗荷(ミョウガ)が栽培されていたのが名の由来で、東京メトロを代表する難読駅名になっています。
東京都文京区小石川3丁目にある浄土宗の寺が慈眼院(じげんいん)。元和6年(1620年)に、伝通院塔頭(たっちゅう・子院)、そして沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)の別当(神社を管理する寺)として創建。その西側には幸田露伴、幸…
東京都文京区小石川3丁目、慈眼院・沢蔵司稲荷から小石川善光寺へと下る坂道にあるムクの巨木が、善光寺坂のムクノキ。区道817号のポケットパークとし保存される古木で、伝通院中興第一世の廓山(かくざん、後に増上寺13世)が植え…
東京都文京区小石川3丁目にある浄土宗の寺が、小石川善光寺(正式名は月参堂縁受院善光寺)。伝通院の塔頭(たっちゅう・子院)、縁受院が前身で、慶長7年(1602年)、徳川家康の生母・於大の方(おだいのかた)の念持仏を安置して…
東京都文京区小日向1丁目にある禁教時代にキリシタンが集められた場所が、切支丹屋敷跡。正保3年(1646年)、惣目付(後の大目付)で宗門改役・井上政重(いのうえまさしげ=下総国高岡藩)の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋…
東京都文京区春日2丁目、新坂の横が徳川慶喜終焉の地(とくがわよしのぶしゅうえんのち)。徳川幕府最後の将軍となった15代・徳川慶喜は、江戸城開城後、駿府(静岡市)で暮らしていましたが、明治30年に巣鴨、さらに小石川区小日向…
東京都文京区小石川2丁目にある浄土宗の寺が、源覚寺。宝暦年間(1751年〜1764年)、目の悪い老婆に閻魔大王が自身の右目を与えて治療、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたとされたという伝承から、「こんに…
東京都文京区小日向4丁目、茗荷坂近くにある曹洞宗の寺が、林泉寺(りんせんじ)。江戸時代初めの慶長7年(1602年)、伊藤半兵衛長光を開基、通山宗徹を開山として創建。境内にあるしばられ地蔵は、盗難や物を紛失した人が、願をか…
東京都文京区湯島4丁目にある臨済宗妙心寺派の寺が、麟祥院(りんしょういん)。寛永元年(1624年)、3代将軍・徳川家光の乳母で、大奥をつくった春日局の隠棲所(いんせいじょ)として創建された寺で、春日局(かすがのつぼね)の…
東京都文京区目白台1丁目にある急坂が、胸突坂。西側が肥後細川庭園(熊本藩細川家江戸下屋敷跡)、東側がホテル椿山荘庭園(山県有朋邸跡)という景勝地にある坂で、坂下には水神社(神田上水の守護神)が鎮座するので、水神坂とも呼ば…
東京都文京区弥生2丁目にある住民の通路となっている階段が、おばけ階段。段数は40段で、途中で屈曲する階段です。上りと下りで段数が異なることから「おばけ階段」というなが生まれたもの。かつては薄暗い階段でしたが、改修されて、…
東京都文京区本郷4丁目、レトロな家並みの残る路地の一画にあるのが、樋口一葉菊坂旧居跡(ひぐちいちようきくざかきゅうきょあと)。建物は現存していませんが、樋口一葉(本名・樋口奈津)も使ったとされる井戸が、一葉の井戸(通称)…