浅草公会堂・スターの広場
東京都台東区浅草1丁目、六区ブロードウェイにある台東区立浅草公会堂の正面入り口前に配される広場が、スターの広場。台東区が大衆芸能の振興に貢献した人々の功績を称え、業績を後世に伝えるために手型とサインを設置した広場で、浅草…
東京都台東区浅草1丁目、六区ブロードウェイにある台東区立浅草公会堂の正面入り口前に配される広場が、スターの広場。台東区が大衆芸能の振興に貢献した人々の功績を称え、業績を後世に伝えるために手型とサインを設置した広場で、浅草…
東京都台東区浅草2丁目、六区ブロードウェイの中心、公園六区交番の建つ五叉路の北に鎮座するのが、六芸神。平成8年に設置されたもので、唄神(うたいがみ)、奏神(かなでがみ)、話神(はなしがみ)、戯神(おどけがみ)、演神(えん…
東京都台東区浅草1丁目・2丁目、浅草寺の西側一帯は大正から昭和にかけて東京の娯楽の中心地だった地。浅草オペラや軽演劇もここから生まれ、エノケンこと榎本健一から萩本欽一、ビートたけしなど多くの芸能人を輩出。現在も六区ブロー…
東京都台東区谷中5丁目にある臨済宗国泰寺派の寺が、全生庵(ぜんしょうあん)。明治16年、山岡鉄舟(山岡鉄舟)が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建した寺で、境内には山岡鉄舟の墓もあります。本尊は、江戸城の守り本尊だ…
東京都台東区谷中5丁目、谷中霊園の西にある真言宗豊山派の寺が、観音寺。観音寺(当時は長福寺)は、明和9年(1772年)の火災で焼失、文政年間頃の再興時に築かれたのが現存する観音寺築地塀(かんのんじついじべい)で、国の登録…
東京都台東区谷中7丁目、JR日暮里駅の西側、約10haという広大な敷地を有する都立霊園が、谷中霊園(やなかれいえん)。かつては天王寺(江戸時代後期までは感応寺)境内の一部で、明治7年に東京都の管理となり、今は約7000基…
東京都台東区池之端1丁目にある都立庭園となっている三菱財閥岩崎家の庭園と邸宅が、旧岩崎邸庭園。明治29年、岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長・岩崎久弥(いわさきひさや)の本邸とそれに付随する庭園として築かれたもの。現在は往…
東京都台東区と文京区の境、不忍池の池之端から、本郷の台地上へと上る坂が、無縁坂。旧岩崎庭園の北側の縁を上るので、赤レンガの壁が印象的です。さだまさし作詞・作曲でグレープの歌った『無縁坂』、里中満智子の漫画『無縁坂』、森鷗…
東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の東京文化会館近くにあるのが、摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)。園内図に摺鉢山と表記された部分が、実は前方後円墳と推測される摺鉢山古墳で、上野台地に形成された古墳群の中心となる墳丘ですが…
東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の清水観音堂と摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)の間、いこいの広場に立つのが、時忘れじの塔。平成17年3月9日に海老名香葉子(えびなかよこ=エッセイスト、「昭和の爆笑王」初代・林家三平の夫…
東京都台東区、江戸時代には東叡山寛永寺の境内地だった上野恩賜公園、西郷隆盛像近くにあるのが彰義隊戦死者碑。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争で戦死した彰義隊士を荼毘に付したのが、西…
東京都台東区谷中7丁目、都立谷中霊園の一画、甲2号1側にあるのが、高橋お伝の墓。高橋お伝は、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『高橋阿伝夜刃譚』のモデルで、明治の毒婦として世に知られています。明治9年9月9日、殺人容疑で逮捕…