小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)
東京都足立区梅島2丁目にある稲荷社が、小右衛門稲荷神社。元和2年(1616年)、岩槻藩士・渡部小右衛門が一帯に小右衛門新田を開拓、その鎮守として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請して創建した神社で、境内には昭和7年築…
東京都足立区梅島2丁目にある稲荷社が、小右衛門稲荷神社。元和2年(1616年)、岩槻藩士・渡部小右衛門が一帯に小右衛門新田を開拓、その鎮守として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請して創建した神社で、境内には昭和7年築…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが小塚原富士と呼ばれる富士塚。この塚があることから、一帯が小塚原と呼ばれるようになったという地名の由来で、神が降臨した塚を江戸時代後…
東京都清瀬市中里3丁目、住宅街のなかにポツンと残る小山が、中里富士山。江戸時代に隆盛した富士講の信者で、当時の中里村の講中が築いた富士塚。富士山に登ることができない人でも、同じ功徳を得られるということで築かれた富士塚で、…
東京都杉並区の善福寺公園東側、善福寺川の源流部に鎮座する古社が、井草八幡宮。平安時代に春日社(春日権現)として創建されましたが、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻める際に、戦勝祈願を行ない、八幡宮になったもの。中世には武神(…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として創建された寺ですが、境内には文化14年(1817年)に築かれた富士塚が…
東京都武蔵野市境南町2丁目、杵築大社(きづきたいしゃ)の境内にあるのが杵築大社の富士山。境富士と通称され、三多摩に現存するものでは清瀬・中里の富士塚に次いで2番目に規模の大きい富士塚です。明治14年5月、境村を中心に近隣…
東京都中央区、平安時代の承和8年(841年)創建と伝わる古社、鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)の境内にあるのが鉄砲洲富士。江戸時代中期に富士講は隆盛し、江戸八百八町それぞれに講中が組織され、50ヶ所ほどの富士塚…
東京都豊島区高松2丁目、長崎神社の境外末社、富士浅間神社の境内にあるのが豊島長崎の富士塚。文久2年(1862年)に築造された高さ8m、直径21mという大規模な富士塚で、国の重要文化財に指定。塚の表面には富士山から運ばれた…
東京都台東区下谷2丁目の小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)の境内に築かれているのが下谷坂本の富士塚。下谷坂本富士とも通称される富士講の築いた高さ5m、直径16mの富士塚で、国の重要文化財に指定される5ヶ所の富士塚のひと…
東京都渋谷区千駄ヶ谷1丁目にある鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんじゃ/正式名は八幡神社)の境内に築かれている富士講の富士塚が千駄ヶ谷富士。寛政元年(1789年)築造という歴史ある富士塚で、都内に現存する最古の富士塚と…
東京都板橋区大門、赤塚諏訪神社社殿から南西に100mほどのところ、国道17号の脇にあるのが赤塚諏訪神社富士塚。江戸時代に富士講のひとつ丸吉講(まるきちこう)によって築かれたもので、現在の板橋区周辺の富士講の隆盛を今に伝え…
東京都練馬区北町8丁目の大松氷川神社(おおまつひかわじんじゃ)境内に築かれている富士塚が氷川神社富士塚(大松の富士塚)。江戸時代中期以降、江戸市中とその周辺には江戸八百八講とよばれるほど富士講の講中が組織されましたが、と…