下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)

下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)

東京都台東区下谷2丁目の小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)の境内に築かれているのが下谷坂本の富士塚。下谷坂本富士とも通称される富士講の築いた高さ5m、直径16mの富士塚で、国の重要文化財に指定される5ヶ所の富士塚のひとつです。

入谷東講のシンボルとなった富士塚は国の重文

入谷下谷坂本の山本善光と大坂屋甚助の2人は入谷東講(山東講)を起こし、山本善光は先達となり、大坂屋甚助は講元を引き受け、文政11年(1828年)、小野照崎神社境内地と隣接の大坂屋甚助の私邸の一部にまたがって富士塚を築いています(古墳が基盤になっています)。
『武江年表』文政11年の項に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とあり、さらに小野照崎神社境内の「富士山建設之誌碑」に東講先達の山本善光が、東講講元の大坂屋甚助と協議して築造すると記されているので、築造年、築造者が明らかとなっているのです。

富士塚全体を富士の溶岩で覆った立派なもので、塚の上の登山道に合目石を立て、一合目の岩屋に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)像、五合目付近に富士講の祖と崇められる角行(かくぎょう=室町時代に富士山麓の人穴で修行)を祀る石祠が配されています。
富士山から溶岩を運ぶ手段は、相模川まで荷車などに載せて陸送し、相模川を船に乗せて下り、相模灘から三浦半島をかわして江戸湾へと入り、隅田川などの舟運で運び、再び陸送したと推測でき、多大な労力を費やしているのです。

「下谷坂本」というのは旧町名で現在の下谷、北上野、入谷界隈にあたり、周辺の入谷東講(富士講)の人たちの労力を集めて築いているのです。

富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に山開きが行なわれ、この時だけ登頂できる仕組み。

国の重要文化財に指定される富士塚は、下谷坂本の富士塚のほか、江古田の富士塚(東京都練馬区小竹町の茅原浅間神社境内)、豊島長崎の富士塚(豊島区高松の富士浅間神社境内)、木曽呂の富士塚(埼玉県川口市東内野)、志木の田子山富士塚(埼玉県志木市本町の敷島神社境内)の5ヶ所のみです。

江戸八富士・江戸七富士

本来は、現在の早稲田大学の構内にあった高田富士と合わせ、江戸八富士と呼ばれていましたが、現在は江戸七富士に。
高田富士は、昭和38年、早稲田大学の拡張に伴って水稲荷神社とともに甘泉園公園横(新宿区西早稲田3丁目)に移っています。

とはいうものの、品川富士、江古田富士など多くの富士塚は、江戸市中ではなく、その近郊の村にあるので、江戸界隈七富士というのが正しい呼び方になります。

・高田富士(甘泉園公園横)
・品川富士(品川神社境内)
・千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)
・下谷坂本富士(小野照崎神社境内)/国の 重要有形民俗文化財「下谷坂本の富士塚」
・江古田富士(茅原浅間神社境内)/国の重要有形民俗文化財「江古田の富士塚」
・十条富士(十条冨士神社境内)
・音羽富士(護国寺境内)
・高松富士(富士浅間神社境内)

下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)
名称 下谷坂本の富士塚(小野照崎神社)/したやさかもとのふじづか(おのてるさきじんじゃ)
所在地 東京都台東区下谷2−13−14
関連HP 小野照崎神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ日比谷線入谷駅から徒歩5分。JR鶯谷駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 小野照崎神社 TEL:03-3872-5514/FAX:03-3872-4238
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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