甲州街道・小仏峠越え

甲州街道・小仏峠越え

東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間、武相国境に位置する峠が、小仏峠(こぼとけとうげ)。江戸時代に徳川幕府が整備した甲州街道(日本橋〜甲府〜下諏訪)の古道で、甲州道中としてハイキングコースとして整備されています。

武相国境に位置する甲州街道の峠越えの要衝

甲州街道・小仏峠越え

甲州街道・小仏峠越えは、甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ古道で、慶長6年(1601年)、江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された5街道のひとつ。

高遠藩内藤氏、飯田藩脇坂氏(のち堀氏)、高島藩諏訪氏などの参勤交代にも使われたほか、幕府に献上される宇治茶を運んだお茶壺道中(将軍の道中と同じ権威がありました)も、甲州街道を使ったため、この小仏峠を越えています。
江戸で隆盛した富士講の富士登拝の講中(こうじゅう=メンバー)もこの小仏峠を越えて富士吉田へと向かったのです。
こうした往来を受け、小仏峠の東南500mの場所には小仏関所が設けられていました(関所跡は国の史跡)。
幕末には、板垣退助率いる官軍(東山道先鋒総督軍)が甲府へと迫るなか、近藤勇、土方歳三らは甲陽鎮撫隊を組織し、小仏峠を越えて甲州へと向かっていますが、甲州勝沼の戦いで大敗を喫しています。

明治13年に甲州・東山道を巡幸の明治天皇も小仏峠を越えていますが、途中の小仏小休所までは馬車で来て、峠部分は輿(こし)に乗り換えて越えています。

峠越えの道は、東京都道・神奈川県道516号(浅川相模湖線)になっていますが、明治天皇が輿に乗り換えを余儀なくされた2.7kmは、現在も車の通行できない「徒道」・「険道」です。

小仏峠越えを相模原市側に下りた緑区小原には、小原宿本陣(おばらじゅくほんじん)が現存。
見学が可能です。

甲州街道・小仏峠越えハイキングコース コースタイム

JR高尾駅北口〜(京王バス小仏行き21分)〜小仏バス停〜(徒歩15分)〜景信山登山口〜(徒歩5分)〜小仏峠入口〜(徒歩30分)〜小仏峠〜(徒歩50分)〜西小仏口〜(徒歩30分)〜底沢バス停〜(徒歩6分)〜小原宿本陣〜(旧甲州街道経由・徒歩25分)〜JR相模湖駅

甲州街道・小仏峠越え
名称 甲州街道・小仏峠越え/こうしゅうかいどう・こぼとけとうげごえ
所在地 東京都八王子市裏高尾町・神奈川県相模原市緑区
電車・バスで JR・京王電鉄高尾駅から京王バス小仏行きで21分、小仏下車
ドライブで 圏央道高尾山ICから約9.5kmで小仏峠入口駐車場
駐車場 小仏峠入口駐車場(15台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
小仏峠

小仏峠

東京都八王子市裏高尾町と神奈川県相模原市緑区の間、武相国境に位置する峠が、小仏峠(こぼとけとうげ)。景信山(標高727.3m)と小仏城山(標高6704.m)の鞍部、標高548mに位置し、高尾山とを結ぶハイキングコースの途中に位置し、峠越えの

景信山

景信山

東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区との境、武相国境に位置する標高727.3mの山が、景信山(かげのぶやま)。西に陣馬山、南東側に高尾山へと続く都県界尾根沿いにに続く奥高尾縦走路(京王電鉄の「高尾・陣馬スタンプハイク」)途中に位置し、富士山

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