丸ノ内線御茶ノ水橋梁

丸ノ内線御茶ノ水橋梁

東京都文京区湯島1丁目・千代田区神田駿河台4丁目、神田川に架かる東京メトロ丸ノ内線の橋が、丸ノ内線御茶ノ水橋梁。聖橋などからその姿を眺めることができ、かつては乗り物絵本の定番として描かれた場所です。昭和30年の完成で、国の登録有形文化財に指定されています。

仙台藩が開削して誕生した峡谷を車窓から見学

丸ノ内線御茶ノ水橋梁
聖橋の横を走るかたちですが、水面からの高さにも注目を

橋長36mの鋼製1連桁橋(複線下路ボックスガーダ橋)ですが、神田川に架かる関東大震災の震災復興橋梁でもある聖橋(昭和2年)などとのバランスも考え、シンプルな構造になったのかもしれません。
神田川は今も舟運が行なわれているため、川の中に橋脚を立てることはできず、さらに丸ノ内線が川面から近い場所を通過するため、水面からの高さの確保も必要で、権威が集結する委員会を設置して専門家の議論が尽くされた結果、現在の橋が生まれたのです。

桁高を車窓より低い位置にしたのは、トンネルをくぐり抜けてきた地下鉄の車窓から、ほんの一瞬の界隈の眺望を楽しむことができるようにという配慮から。
支間わずか36mという短い間のみ外が見えるわけですが、仙台藩が牛込から和泉橋までの間を開削した仙台堀にあたる部分なので(神田山を切り通して湯島台と駿河台とに分け、人工の谷が誕生)、往時には茗渓(めいけい )とも称された峡谷的な景観を車窓から堪能できる貴重な場所になっているのです。

下流側には総武本線の神田川橋梁(上路式プレートガーダー橋/昭和7年)、昌平橋(大正12年)などとともに「橋のフィールドミュージアム」的なエリアになっています。

丸ノ内線では、御茶ノ水駅出入口上家(昭和28年築)も、地上階のほぼ全面に水平連続窓を配置したモダニズム建築の鉄筋コンクリート造りの上家として、国の登録有形文化財に指定されているほか、四ツ谷駅跨線橋(昭和34年)も国の登録有形文化財になっています。

丸ノ内線御茶ノ水橋梁
名称 丸ノ内線御茶ノ水橋梁/まるのうちせんおちゃのみずきょうりょう
所在地 東京都文京区湯島1丁目〜千代田区神田駿河台4丁目
電車・バスで JR御茶ノ水駅聖橋口から徒歩3分、JR秋葉原駅電気街口から徒歩8分で昌平橋
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
聖橋

聖橋

東京都千代田区神田駿河台4丁目と文京区湯島1丁目の間を流れる神田川に架る橋が、聖橋(ひじりばし)。優美なコンクリートアーチ橋は、関東大震災後に架橋された復興院(後の復興局)の震災復興橋梁のひとつで、昭和2年の完成。御茶ノ水のシンボルは、土木

神田川橋梁

総武本線が神田川をまたぐ部分に架けられた鉄道橋。昭和7年、関東大震災からの復興という目的もあって、総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸する際に架けられた橋。「ラーメン橋脚」が使用されていることで有名で、昌平橋交差点を越える松住町架道橋と連

昌平橋

神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代田区景観まちづくり重

北斎&広重 浮世絵に描かれた湯島聖堂・神田川

御茶ノ水駅から、ニコライ堂と湯島聖堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋を渡ると、湯島聖堂。御茶ノ水と湯島は隣接していたことに改めて気づきますが、そんな湯島の端に建つのが、江戸幕府が昌平坂学問所を設置した、湯島聖堂です。脇を流れる神田川、見事な峡谷をつく

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