東京都豊島区駒込6丁目、門と蔵のある広場の玄関門となっているのが、旧丹羽家腕木門(きゅうにわけうでぎもん)。丹羽家は天明年間(1781年〜1789年)から明治末期まで染井を代表する植木屋として活躍、腕木門と住宅蔵が現存し、豊島区の有形文化財に指定されています。
江戸時代後期、津藩藤堂家下屋敷の裏門として建築
腕木門の建築年代は定かでありませんが、根継部に「弘化四年未年九月十二日継」(弘化4年=1847年)という墨書(ぼくしょ=墨で記された文字)があることから、少なくともそれ以前に建築されたと推定できます。
染井通りを挟んで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷(通称「染井屋敷」/現在の駒込4丁目~5丁目)の裏門を移築したともいわれますが、その格式から、大名家の門だった可能性もあります。
かつては染井通りに面して建っていましたが、藤堂家下屋敷から丹羽邸内に移築した際、さらに染井通り側にマンションを建てる時に現在地に曳屋(ひきや=そのまま建物を移動)しています。
屋根は当初は木の薄板を重ねた柿葺き(こけらぶき)でしたが、昭和10年に瓦葺きに葺き替えられています。
江戸時代の染井村(現在の豊島区駒込一帯)は、周囲に大名屋敷があることから、庭園の手入れのため多くの庭師、植木屋が暮らしていました(幕末に染井村の植木屋がエドヒガンとオオシマザクラをかけあわせ、クローン種の桜を「吉野桜」として売出したのがソメイヨシノといわれています/自然交雑という説もあります)。
歌川広重の『絵本江戸土産』の染井植木屋には、「此の辺都て植木や多く 園中 奇石珍樹を植並べ 草木の花四時に絶えず 殊に近曽菊を造りその巧みを競ふほどに都下の騒人雲の如く集ひてこれを見物す」と記され、菊花シーズンには見物客で賑わっていたことがわかります。
丹羽家は一帯の地主で、代々、丹羽茂右衛門を襲名、造り菊、石菖(せきしょう)、蘭、ツツジなどを得意とした植木屋でした。
旧丹羽家腕木門 | |
名称 | 旧丹羽家腕木門/きゅうにわけうでぎもん |
所在地 | 東京都豊島区駒込3-12-8 |
関連HP | 豊島区公式ホームページ |
電車・バスで | JR・東京メトロ南北線駒込駅から徒歩7分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 豊島区文化観光課観光交流グループ TEL:03-3981-1316 |
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