東京都新宿区早稲田南町、新宿区立漱石山房記念館に隣接する漱石公園にあるのが、夏目漱石像。この地は、明治40年から大正5年に亡くなるまで「漱石山房」を構えたところで、一角には夏目漱石終焉の地碑も立っているほか、「道草庵」では夏目漱石の関連資料やパネルを展示しています。
夏目漱石終焉の地にある夏目漱石の胸像
「引っ越し魔」とも称される夏目漱石ですが、晩年は「漱石山房」を居に定め、湯治を兼ねて親友である中村是公(なかむらよしこと/大正5年には満鉄総裁)と湯河原「天野屋」(現・エクシブ湯河原離宮の場所にあった老舗旅館)などに出かけることはあっても、終の棲家(ついのすみか)と決めていました。
夏目漱石は、慶応3年1月5日(1867年2月9日)、江戸の牛込馬場下(現・東京都新宿区喜久井町)に生誕しているので、江戸で生まれ(名主として没落しつつあった夏目家)、東京市で死んだことになりますが、ともに現在の新宿区で、新宿区は縁の地ということになります。
漱石公園にある夏目漱石像は、平成3年の建立で、彫刻家で三洋電機の工業デザイナーも務めた富永直樹(とみながなおき)の制作(グラバー園の『トーマス・ブレーク・グラバー之像』などを制作しています)。
碑面には晩年における漱石の心境あるいは覚悟のようなものとして伝えられてきた言葉『則天去私』が刻まれています。
夏目漱石の墓は、雑司ヶ谷霊園の東南部、1-14号1側3番にあります。
夏目漱石像 | |
名称 | 夏目漱石像/なつめそうせきぞう |
所在地 | 東京都新宿区早稲田南町7 |
関連HP | 新宿区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ早稲田駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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