阿吽のライオン像

阿吽のライオン像

東京都台東区上野公園、上野恩賜公園にある東京国立博物館、「トーハク」と通称されるの敷地内にある展示館のなかで、最も古い建物が表慶館。その玄関の両側に座るのが、阿吽のライオン像(あうんのらいおんぞう)。大英博物館、ルーブル博物館にも配されるライオン像(獅子像)ですが、阿吽形というのがいかにも日本的。

玄関前の両脇に阿吽のライオン像が来館者を出迎える

阿吽のライオン像
こちらは口を閉ざした「吽」形

明治33年、当時の皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)と九条節子とのご婚約を記念して建設が計画され、明治42年に開館したのが、東京国立博物館の表慶館。
東宮殿下慶事奉祝会による募金で建設された建物で、表慶館とはまさに「慶びを表す」の意です。

表慶館の設計は、帝国博物館初代本館(関東大震災で倒壊)を手がけたジョサイア・コンドルの弟子で、東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)を設計した宮廷建築家・片山東熊(かたやまとうくま)。
初代本館が倒壊後、現在の本館が竣工するまで、展示施設としての役割を果たしてきました。

美しいドーム屋根をいただくネオ・バロック様式の建物は被写体にも絶好ですが、その玄関の両脇に構えるのが、阿吽のライオン像。
制作は、皇居造営時の建築彫刻にも携わった彫刻家・大熊氏廣(おおくまうじひろ)と17歳年下で東京美術学校の沼田一雅(ぬまたかずまさ)で、明治41年の完成。
大熊氏廣は、靖国神社外苑の大村益次郎像で知られ、同じ上野恩賜公園では、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)を制作しています。

恩賜上野動物園では、明治35年、ドイツ帝国ハンブルクのハーゲンベック動物園からライオン(バーバリーライオン)を購入し、人気を博していたこともあって、阿吽のライオン像(獅子像)にしたのかもしれません。

阿吽の「阿」(a)は、古代インドのサンスクリットの悉曇文字(梵字)における最初の文字であり、「吽」(m)は最後の文字(空海は般若三蔵からサンスクリットの原典『梵夾』を授かり、42部44巻の梵語資料を日本に持ち帰り、梵語の重要性を日本で初めて著述した『梵字悉曇字母并釈義』をまとめています)。
つまり最初から最後までということで、密教(仏教哲学)では一切万有の発生する根源と、その帰着する究極を意味しています(神社の狛犬にも使われていますがもともとは仏教哲学です)。

表慶館は残念ながら展覧会やイベント開催時以外は内部非公開ですが、阿吽のライオン像は常時見学が可能なので、お見逃しなく。

阿吽のライオン像
名称 阿吽のライオン像/あうんのらいおんぞう
所在地 東京都台東区上野公園13-9
関連HP 東京国立博物館公式ホームページ
電車・バスで JR上野駅公園口から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東京国立博物館

東京国立博物館

明治5年3月に湯島聖堂大成殿で開催された日本初の「博覧会」を前身とする日本最初の博物館。上野公園の寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の建物が完成し、第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、明治15年3月20日に博物館の本館となっています。そ

阿吽のライオン像

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