狸穴坂

狸穴坂

東京都港区麻布狸穴町と麻布台2丁目の境、ロシア大使館、東京アメリカンクラブの西側を麻布十番へと下る坂道が、狸穴坂(まみあなざか)。東京を代表する難読地名、難読坂名のひとつで、かつて雌狸が棲む大きな穴があったことに由来(江戸時代中期編纂の江戸の地誌『江戸砂子』)しています。

坂の途中にアナグマの穴があったことが名の由来!?

狸穴坂
坂の上には麻布台ヒルズ森JPタワーがそびえる

江戸時代中期、宝暦12年(1762年)刊、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の随筆『南留別志』(なるべし)には「まみ穴といふ所は古金ほりたる穴なり、まみはまぶの事なり、享保六年の頃黄金のようなる砂いでたれど、 いまだ年のたらぬ金なりとてほらずなり」と鉱山の穴という説を採用しています(荻生徂徠は黄色の雲母説を唱えていますが、説としては独自のもので、他の地誌などには記されていません)。

明治31年刊の講談速記本『江戸名物麻布七不思議』にも「狸穴の婚礼」が記載され、古くから狸穴の話があったことがわかります。

ただし、狸穴の「まみ」は、本来は、魔魅(まみ=人を惑わす化け物)で、動物学的には貒(まみ=アナグマ)で、ニホンアナグマを指しています。
江戸時代に食された動物は、鹿、狸、猪、兎、獺(かわうそ)、熊、犬で、実はこの狸というのが、アナグマのこと(タヌキは「野はしり」、アナグマは「みたぬき」)。
寛永20年(1643年)刊の『料理物語』に、「狸汁、野はしり(注/タヌキのこと)は皮をはぐ、みたぬき(注/アナグマ)はやきはぎよし、味噌汁にて仕立候、妻は大こんごぼう其外色々、すい口にんにく・だし・酒・塩」と記されています。

ムジナ(貉、狢)もアナグマのことで、貝原益軒(かいばらえきけん)も宝永5年(1708年)刊の著『大和本草』(やまとほんぞう/動物、植物、鉱物など1362種を解説した日本最初の本草学書)で「狢(むじな)、味よくして野猪の如し。肉やはらか也。穴居す」と記しています。
タヌキは毛皮の質がいいが、料理には臭みが強くて不向き、対してアナグマは、毛皮は使えないが、料理には向く、というのが江戸時代の常識だったのです。

狸穴坂は、竹藪などが生い茂り、アナグマもいそうな場所だったという坂の雰囲気を表す坂名ということに。
高級住宅街と化した現在からは想像のつかない光景です。

狸穴坂
坂横の戸澤上總介(とざわかずさのすけ)は、出羽新庄藩戸澤家上屋敷のこと
狸穴坂
名称 狸穴坂/まみあなざか
所在地 東京都港区麻布台2丁目、麻布狸穴
関連HP 港区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄麻布十番駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
狸穴坂

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