東京都台東区浅草2丁目、浅草寺の弁天山、弁天堂右手の鐘楼に下がるのが、時の鐘。松尾芭蕉が詠んだ「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で知られる時鐘で、増上寺、寛永寺とともに江戸三名鐘に数えられ(江戸三名鐘は諸説あります)、現在も毎朝6時に「明け六つ」の鐘、除夜の鐘が鳴らされています。
江戸市中に時を告げた鐘が現存、毎朝6時に時を告げている!
江戸市中に時を告げた時の鐘は、当初は江戸城の城内にありましたが、江戸市街地の拡大に伴い、まず日本橋本石町に設置され、さらには浅草寺、上野・寛永寺など江戸城を囲む9ヶ所(日本橋本石町、上野・寛永寺、市ヶ谷八幡、赤坂田町・成満寺(戦後、多摩市に移転)、芝・増上寺、目白不動尊、浅草寺、本所横堀、内藤新宿・天龍寺=この順番で前の鐘の音を聞いて、鐘を鳴らしていました)で時を知らせるようになりました。
江戸市中の時の鐘は、先ず注意をひくために3度「捨て鐘」を撞き鳴らし、時打ちの鐘を撞いていました。
浅草寺では、目白不動尊の「捨て鐘」を聞いて、時の鐘を鳴らすタイミングを図ったのです。
浅草寺の時の鐘は、、高さ2.12m、直径1.52m。
元禄5年(1692年)、5代将軍・徳川綱吉の命により、幕府の御成先鍋釜御用(おなりざきなべがまごよう)を務めた深川の鋳物師(いもじ)・太田近江大掾藤原正次(おおたおうみだいじょうふじわらのまさつぐ=近江出身で幕府御用を務めた鋳物師の名跡)が鋳造したもの。
鋳造の費用は、徳川綱吉の側近で綱吉を支えた下総関宿藩主・牧野成貞(まきのなりさだ)が黄金200両を寄進しています(元禄6年に隠居しているので、隠居直前の寄進ということに)。
昭和20年3月の東京大空襲では火の粉を浴びたものの焼失を免れ(鐘楼は焼失)、現存。
入母屋造りの鐘楼も昭和25年に再建されています。
浅草寺・時の鐘 | |
名称 | 浅草寺・時の鐘/せんそうじ・ときのかね |
所在地 | 東京都台東区浅草2-3-1 |
関連HP | 浅草寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武スカイツリーライン・つくばエクスプレス浅草駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 浅草寺 TEL:03-3842-0181(10:00〜16:00、日曜、祝日を除く) |
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