東京都港区高輪2丁目、曹洞宗の寺で、赤穂浪士の墓地のある泉岳寺境内にあるのが、首洗い井戸。吉良邸の討ち入りを果たし、本懐成就後、墓前に捧げる前に赤穂浪士が吉良上野介(きらこうずけのすけ=吉良義央)の首級(しゅきゅう)を洗ったとされる井戸が現存しています。
本懐を遂げた赤穂浪士が吉良上野介の首を洗った池
江戸城松之大廊下で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ=浅野長矩・あさのながのり)が吉良上野介に切りかかったことに発する大事件が、赤穂事件。
名家として名高い吉良家に対しての逆恨みともされる遺恨による殿中刃傷事件ですが、浅野内匠頭は、陸奥一関藩主・田村建顕の芝愛宕下(現・東京都港区新橋4丁目)に預けられ、将軍家により即日切腹、赤穂浅野家5万石の取り潰しを即決。
浅野家取り潰しにより、浪人となった47人が、吉良上野介邸を襲撃するという江戸時代のテロ事件が、赤穂事件です(吉良上野介は、領地である三河では名君として知られています)。
明治維新後に、忠義、忠孝を尊ぶという世相を反映し、赤穂義士として祀られるようになり、映画などでも数多く取り上げられています。
首洗の井戸の玉垣は、『オッペケペー節』で一世を風靡した川上音二郎(かわかみおとじろう)の寄進。
「自由童子」と名乗り、政府攻撃を続けた川上音二郎は、明治24年、泉岳寺(上京した際、無一文となり増上寺の小僧をしていたことも)にある赤穂浪士の墓が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付を行ない、この寄付で、泉岳寺は首洗の井戸を整備したのです。
明治24年といえば、川上音二郎が壮士芝居の役者として舞台に立ち、大喜利に余興として『オッペケペー節』を歌いだした頃のこと。
「権利(けんり)幸福(こうふく)きらいな人に。自由湯をば飲(の)ましたい。オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー。」という川上音二郎が、その後、忠君愛国に利用される赤穂浪士に同興味をもったのかは定かではありませんが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で荒廃していた赤穂浪士の墓には、感じるものがあったのだと思われます。
泉岳寺・首洗い井戸 | |
名称 | 泉岳寺・首洗い井戸/せんがくじ・くびあらいいど |
所在地 | 東京都港区高輪2-11-1 |
関連HP | 泉岳寺公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄浅草線泉岳寺駅から徒歩1分 |
ドライブで | 首都高速芝公園ランプから約2.5km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 泉岳寺 TEL:03-3441-5560/FAX:03-3441-2208 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |