東京都豊島区南池袋四丁目にある面積10.6haという広大な東京都立の霊園が、雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)。霊園の東南部、1-14号1側3番にあるのが、夏目漱石の墓です。夏目漱石は小説『こころ』に雑司ヶ谷霊園を描いています。
夏目漱石、その親友の満鉄総裁・中村是公も眠る
夏目漱石は、大正5年1月28日〜2月26日、リウマチの治療のため、中村是公(なかむらよしこと=満鉄総裁時代に夏目漱石を満州に招待した漱石の親友)、田中清治郎(満鉄理事)らと湯河原温泉「天野屋旅館」(平成17年に閉館、現在は町立湯河原美術館として再生)で転地療養を行ない、5月から『明暗』を『朝日新聞』に連載しますが、12月9日、持病の胃潰瘍による出血で没(49歳10ヶ月)。
戒名は文献院古道漱石居士です。
墓石の設計は、鶴舞公園(つるまこうえん/名古屋市昭和区)の奏楽堂や噴水塔、半田市の旧中埜家住宅(明治24年築、国の重要文化財)などにその名を残す鈴木禎次(すずきていじ=設計した80棟のうち44棟が名古屋市内で「名古屋をつくった建築家」とも)。
実は夏目漱石の妻・夏目鏡子の妹が、鈴木禎次の妻という関係で、墓石の設計を手掛けたもの。
夏目漱石は、小泉八雲が東大を去った後の東大講師。
その小泉八雲のほか、親友の中村是公、友人で『吾輩は猫である』に登場する美学者・迷亭のモデル大塚保治と妻の楠緒子、門下の森田草平(もりたそうへい)、敬愛した明治のお雇い外国人のラファエル・フォン・ケーベル(漱石は、東京・駿河台のケーベル宅に呼ばれたこともあります)の墓も、雑司ヶ谷霊園にあります。
小説『こころ』に描写される雑司ヶ谷霊園
先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々(イサベラなになに)の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と書いた塔婆(とうば)などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。
先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽(こっけい)もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。
墓地の区切り目に、大きな銀杏(いちょう)が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。
雑司ヶ谷霊園・夏目漱石の墓 | |
名称 | 雑司ヶ谷霊園・夏目漱石の墓/ぞうしがやれいえん・なつめそうせきのはか |
所在地 | 東京都豊島区南池袋4-25-1 |
関連HP | 都立霊園公式ホームページ |
電車・バスで | 都電荒川線雑司ヶ谷駅から徒歩3分 |
ドライブで | 首都高速護国寺ランプから約900m |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 雑司ケ谷霊園管理事務所 TEL:03-3971-6868 |
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