世田谷代官屋敷

世田谷代官屋敷

東京都世田谷区世田谷1丁目、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヶ村(2306石)の代官を世襲した大場家の役宅が、世田谷代官屋敷。大名領の代官屋敷としては現存する都内唯一の遺構で、東京都の史跡。主屋と表門の2棟は、国の重要文化財に指定されています。

江戸時代、彦根藩の領有した世田谷領の代官屋敷がここ!

彦根藩井伊家は関東エリアに下野国(現・栃木県)佐野領1万7693石、武蔵国世田谷領2306石という飛び地を保有し、物資や労働力を江戸屋敷(現在の憲政記念館が彦根藩井伊家上屋敷跡、明治神宮が下屋敷跡)に提供していました。
その代官に任命されたのが、地元の旧家・大場家です。
大場家のルーツは石橋山の戦いで有名な大庭景親(おおばかげちか)の子孫と伝えられ、室町時代には世田谷城主・吉良氏の重臣として仕え、戦国時代末に吉良氏と姻戚関係の北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、土着の郷士として帰農していました。

大場家の屋敷は、もともと元宿(現・世田谷4丁目、世田谷区役所第二庁舎)にありましたが、天正年間(1573年〜1592年)の初め(1570年代)に大場信久・房勝親子が、現在地の世田谷新宿(現・世田谷1丁目)に移しています。
現存する主屋は、7代・大場盛政が元文2年(1737年)に建て替えたもの。
元文4年(1739年)頃に代官職に登用され、宝暦3年(1753年)、役向専用に「書院座敷」を増築し、居宅部分にも改修を加えています。

寄棟造り、茅葺き(かやぶき)、北面が玄関で、桁行は57.2尺(けたゆき=横幅17.33m)、面積57.84坪(191.2平米)。
昭和53年、近世中期の代表的上層民家としてよくその旧態を保存し、貴重な建造物であるとの理由で、住宅建造物としては都内で初めて国の重要文化財に指定されています。

主屋には役所の間、役所次の間、切腹の間、代官の間(以上は畳敷き)、名主詰め所(板の間)など、行政に使われた建物ですが、敷地全体としては自身の邸宅を兼ねた役宅です。

敷地内には被疑者を取り調べた白州(しらす)跡、弓道場などがあり、大場家所蔵の古文書は都重宝(現在都指定有形文化財)に指定。

代官屋敷の敷地内に建つ「世田谷区立郷土資料館」には、彦根藩藩主で大老・井伊直弼(いいなおすけ)が桜田門外の変で暗殺されたという急報に接した緊迫感や領内の慌ただしい動きを伝える大場美佐(当時の代官・大場与一の妻)の日記が寄託・展示されています。

世田谷代官屋敷
名称 世田谷代官屋敷/せたがやだいかんやしき
所在地 東京都世田谷区世田谷1-29-18
関連HP 世田谷区公式ホームページ
電車・バスで 東急電鉄上町駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 世田谷区立郷土資料館 TEL:03-3429-4237/FAX:03-3429-4925
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
世田谷区立郷土資料館

世田谷区立郷土資料館

東京都世田谷区世田谷1丁目、世田谷代官屋敷の敷地内に建つのが、世田谷区立郷土資料館。世田谷区政30周年事業で昭和39年に開館した、都内最古の区立博物館。一帯は江戸時代、彦根藩の領地で、世田谷領20ヶ村の代官屋敷だった大場家の建物(国の重要文

世田谷代官屋敷

関連記事

よく読まれている記事